AARPという米団体のホームページに掲載された、ボブディランの最新インタビューです。50歳以上のライフスタイル、というコンセプトを強く押し出している団体のようです。かなり大人な、ディープな内容になっています。濃いです。長いので複数パートに分けます。
原本:http://www.aarp.org/entertainment/style-trends/info-2015/bob-dylan-aarp-the-magazine-full-interview.html
出版日:2015年3月23日
以下、つながり眉毛による訳。
THE SONGS
「言葉が伝えることを、信じなくてはいけない。言葉はメロディと同じくらい重要だ。
その曲を信じ、その曲の中に生きているのでない限り、それを演奏する意味は少ない」
「私はいつも精神的な歌に惹かれてきた」ボブディランが言う。「アメージンググレースのあの歌詞、“それは私のような不幸な者をも救ってくれた”。これは本当に誠実な人しか言えないよ」73歳にして、ディランは未だ勝負事の中に生きている。暴力的なまでに誠実で、どこまでも彼らしい。
この九千字に及ぶインタビューで、ディランは今までにない程、深いところまで語っている。自身の創作行為、作曲、演奏、レコーディング、そしてロックンロー ルが解き放つ、創造的破壊行為。エルトンジョン、ロッドスチュアート、エリッククラプトンという同年輩について冗談交じりに話しながら、チャックベリーの詩情とビリーグラハムの魂を焼く業火を称賛している。
ディランの人生において、音楽が担ってきた役割に、あなたは感銘を受けるだろう。人生の様々な場面で、彼は音楽に魅了され、魔法にかけられ、陶酔し、打ちのめされてきた。14歳 で初めてステープルズシンガーズを聴いた彼は、その晩眠ることができなかった。「まるで私の身体が透明であるかのように、その曲は私の中を通り抜けていった」ラジオから流れるブルーズ、カントリー、そしてゴスペルに遭遇した時から、彼は常に注意深く聴きこみ、最良なものを吸収している。アメリカ音楽の生徒であり教授でもある彼は、「シャドウズインザナイト」のために10のスタンダード曲を録音すると決めた背景から、話し始めた。
Q:近年あなたがリリースしたオリジナル曲集のレコードは、どれも高く評価されています。どうして今、このレコードを作ったのですか?
A:今が正しいときだからさ。70年
代後期にウィリーの「スターダスト」というレコードを聴いた時から、ずっと考えていた。自分にもできると思った。そこで当時コロンビアレコーズの社長だった、ウォルターイェットニーコフと話した。ウィリーのように、スタンダード曲集のレコードを作りたいと相談した。でも彼は「さっさと作れよ。俺たちは金を出さないし、リリースもしない。でも作りたいならさっさと作れよ」と言った。だから私は「ストリートリーガル」を作った。でもイェットニーコフは、恐らく正しかったよ。スタンダード曲集を作るのは、私には多分まだ早過ぎた。
それから何年間も、他の人がこれらの曲を録音するのを聴いて、自分もやりたいと思っていた。私と同じように、これらの曲を捉えている人がいるか、いつも疑問だった。実はロッドスチュアートのスタンダード曲集は、楽しみにしていたんだ。ロッドなら、これらの曲に何か違うものを宿すことができるはずだと思っていた。でも結果は残念だった。ロッドは素晴らしい声を持つ、偉大な歌手だ。30人編成のオーケストラを使う必要は無かった。誰にでも仕事をする権利はあるが、そこに心と魂がこもっているかどうかは、聴けば分かる。そしてロッドは、そうじゃなかった。今日のレコードは全て、ボーカルをオーバーダビングしている。でもこれらの曲は、現代のレコーディング技術を使ったら、うまくいかないよ。
これらの曲と共に育った世代にとっては、これらの曲はロックンロールが滅ぼしたものでもある。ミュージックホール、タンゴ、40年代ポップス、フォックストロット、ルンバ、アーヴィングバーリン、ガーシュイン、ハロルドアーレン、ハマースタイン。名高い作曲家たちだ。現代の歌手が、こういうタイプの音楽や歌と通じ合うのは難しい。私たちがスタジオへ入ったとき、約30の候補曲があった。そしてこの10曲が、ある種のドラマを作り始めた。この10曲は繋がっているように思えた。世界中のステージで、サウンドチェックの際に、これらの曲を演奏した。ボーカルマイクも使わなかった。全ての楽器がよく聞こえたよ。普段はフルオーケストラが演奏するような曲だけど、私たちは5人編成のバンドで演奏した。でもオーケストラが必要とは思わなかった。プロデューサーがいたら、「ここにストリングスを入れて、そこにホーンを入れよう」 なんて言ったかもしれない。でもそのつもりは全く無かった。キーボードやグランドピアノも使わなかった。ピアノはあまりに広い領域をカバーして、望まない方法で曲を支配してしまう。このレコードの重要なポイントの一つは、ピアノを取り除き、その影響を排除することだった。
Q:あなたの長年のファンは、このレコードを聴いて驚くでしょうか?
A:そんなことはない。私は様々な曲を歌ってきた。スタンダード曲も歌ったことがあるよ。
Q:これらの曲を子供の頃から知っていたのですか?かなり古い曲もありますよね?
A:知っていたよ。好きな曲は忘れない。30年前くらいかな。
Q:このレコードを作ったプロセスは?
A:まずはその曲を理解する。そして他の人のバージョンを確かめる。ある人のバージョン、そしてまた別の人のバージョンを聴き、最終的にはハリージェイムスのアレンジにまで辿り着いた。あるいはペレスプラド。私のバンドのペダルスティール奏者は天才だ。ヒルビリー、ビバップ。何でも演奏できる。ギターは2本だけで、1本はビートを刻むだけだ。ウッドベースはオーケストラの旋律をなぞっている。ある意味ではフォークミュージック的だ。ビルモンローのバンドには、ドラマーがいなかった。ハンクウィリアムスもそうだった。時として、ビートはリズムの神秘さを奪ってしまう。常にそうかもしれない。これらの曲を録音する方法は、一つしかなかった。ライブ演奏を、わずか数本のマイクで録った。ヘッドホン、オーバーダブ、ボーカルブース、個別録音。そういったものは一切ない。古臭いやり 方だけど、この方法しかなかった。私はマイクから6インチ離れて歌った。デジタルではなくボードミックスで、録音されたままにミックスした。エンジニアのために、一曲当たり2~3回演奏したよ。彼がマイクを配置してくれた。彼が望む限り、何回でも演奏すると私は言った。そうやって一曲一曲録音していった。
Q:まるで、マイクがあなたの目の前にあるようです。
A:そうだね。
Q:各曲をとても深く解釈していますね。
A:その通り。私たちはキャピタルのスタジオでレコーディングした。こういうレコードには、ぴったりの場所だ。でも新しい機材は一切使わなかった。エンジニアが所有する昔の機材を、スタジオに持ってきた。さっきも言った通り、ヨーロッパを昨秋ツアーしていたときに、バンドでリハーサルを重ねていた。ステージ上でマイクも使わずリハーサルを行い、各楽器が正しいボリュームで演奏することを覚えた。スタジオに入ったときには、バンドは既に仕上がっていたよ。
Q:美しいホーンです。とても低いキーで、主張せず雰囲気づくりに徹しています。
A:そうだね。だけど3本くらいしか鳴っていない。フレンチホーン、トランペット、トロンボーン。全てがハーモニーを奏でている。3本まとまって、美しい音になっているよ。
Q:ご自分でアレンジしたのですか?
A:いや。原曲は30人編成で、私たちが立ち向かえるものではない。挑戦しようとも思わなかった。これらの曲を作り上げる、根本的な生命の奥底に、辿り着くことが必要だった。本当に必要な部分しか残さなかった。自分の感覚を信じたよ。
Q:複数のバージョンを聴いた後、自分のバージョンを考えるのですか?
A:これらの曲の多くは、今まで地面に叩き付けられてきた。人々が知っている、もしくはそう思っている曲を、私は取り上げたかった。その曲の別な面を見せ、その世界を独特な方法で開いた。歌詞が伝えることを信じなくてはいけない。言葉はメロディと同じくらい重要だ。その曲を信じ、その曲の中に生きているのでない限り、演奏する意味は少ない。例えば「Some Enchanted Melody」。 あるいは「枯葉」。この曲はもう、死ぬほど演奏されている。誰が演奏していないだろう?愛と喪失を理解していて、それを感じていなければ、「枯葉」は歌えない。あまりに深過ぎる曲だ。学生には無理だよ。人々はいつも、フランクシナトラについて語り合っている。彼は素晴らしいアレンジャーを抱えていた。そして彼らのベストな部分を引き出した。ビリーメイ、ネルソンリドル、ゴードンジェンキンス。フランクと仕事をするとき、彼らは特別だった。いかなるレベルにおいても、高尚としか言えないアレンジを提供した。当然彼はそれに値していたよ。彼は、対話的な方法で曲の中に入り込むことができた。フランクは、聴き手に向けて歌う。聴き手の方を向いて歌うのではない。今日のポップ歌手とはまるで違う。私は歌手として、聴き手の方を向いて歌いたくはなかった。聴き手に向けて、歌いたかった。私はこれを、フランクから学んだのかもしれない。ハンクウィリアムスもそうだった。彼も聴き手に向けて歌っていた。
Q:このレコードは、人々がAmerican Songbookと呼ぶ曲群から、多く選択されています。そしてフランクはこれら10曲を全てレコーディングしています。彼のことは、心にありましたか?
A:これらの曲を演奏するとき、フランクのことは考えざるを得ない。彼は山だ。途中までしか辿り着けないとしても、挑戦を余儀なくされる山だ。そして、彼が演奏しなかった曲を見つけるのは難しい。彼とはいずれ、ぶつかることになる。私はナンシーも好きだ。他のガールシンガーとはまるで違う。彼女も対話的でソウルフルだ。フランクジュニアも素晴らしい。ウディガスリーの曲をやりたいなら、ブルーススプリングスティーンを経由して、ジャックエリオットを知る必要がある。そしてやっとウディーに辿り着く。でも長い道のりだよ。
Q:フランクが歌った「Ebb
Tide」を60年代に聴いたとき、心底驚いたらしいですね。しかし「今はこれを聴いてはいられない。今は正しい時ではない」とも言っていました。
A:まさしくそうだ。そういうことは沢山あったよ。私は自分の方向に進む必要があった。「Ebb Tide」は幼い時によく聴いていた。具体的にいつかは覚えていないけどね。ヒットしていたし、ポップだった。ロイハミルトンも歌っていた。彼も素晴らしい歌手で、彼のバージョンは壮大だった。それを聴いて、私はこの曲を理解したつもりでいた。そして後に誰かの家で、フランクのレコードを手にしたとき、そこには「Ebb Tide」が収録されていた。100回以上は聴いた。そして私は、この曲を全く理解できていなかったと分かった。未だに理解できていないのかもしれない。どうやって彼がこのバージョンを作ったのか、見当もつかない。聴き手を催眠術にかけて、魅了してしまう。こんな偉大なものを聞いたことは無い。
Q:昔は彼の音楽が堅物と見られていて、好きと表明するのは躊躇される雰囲気でしたか?
A:堅物?フランクシナトラを堅物と呼ぶほど、勇気のある人はいないよ。ケルアックも彼を聴いていたし、チャーリーパーカーもディジーガレスピーもそうだった。しかし私自身は当時、彼のレコードを買わなかった。フランクからの影響を公言したこともない。でも彼のレコードはどこにでもあった。大抵はオーケストラが入っていた。スウィング音楽、カウントベイシー、ロマンティックバラッド、ジャズバンド。彼をはっきりと理解するのは難しい。でも結局は、彼の音楽を耳にすることになる。車の中、ジュークボックス。年齢に関わらず、誰の意識の中にもフランクシナトラは存在している。確かに40年代と違って、60年代に彼を崇拝していた人はいなかった。でも彼は決して消え去らなかった。いつまでもここにあると思っていたものは、全て消え去った。そして彼だけが残った。
Q:このアルバムはリスキーですか?フランクには到底及ばないと言う人もいるでしょう。
A:リスキー?地雷が張り巡らされた地面を歩くように?毒ガス工場で働くように?レコードを作って、リスキーなことなんてない。私をフランクシナトラと比べる?冗談だろう。彼の名前と自分の名前が、同じ会話の中で出てくる。それだけで十分だよ。そして誰も彼には及ばない。私も、他の誰もね。
Q:フランクはこのアルバムをどう思うでしょうか?
A:まず、5人編成の演奏に驚くと思う。誇りに感じてくれると思うよ。
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