THE ALBUM
「このアルバムに入っている曲は、時代から取り残された人々によって書かれた。恐らく私は、過去という枠組みから、彼らを解放しようと試みたのかもしれない。彼らが残したものは、今や失われた芸術のあるべき姿だ」
Q:アルバムの曲順にこだわりはありますか?また、アップルが一曲単位で販売することは気にしますか?
A:レコードのビジネス的な側面は、私の関与するところではない。もちろん売れてほしいし、多くの人々に聴いてほしい。音楽の聴き方は変わってしまったけど、彼らがアルバムの全曲を聴いてくれることを願っている。でも!信じられないかもしれないが、このアルバムは、収録順通りに録音された。まぁそれが何かとても重要なわけではないけどね。アルバムの流れは大して気にしなかった。一曲当たり3時間くらいでレコーディングした。ミキシングもなかった。スタジオ鳴っていた通りの音が、録音されている。ダイヤルも使わなかったし、何かを増幅したりもしなかった。キャピタルのスタジオにある巨大なエコーチャンバーくらいは使ったかもしれない。使う技術は、可能な限り少なくした。これらの曲は過去、間違った形でレコーディングされてきた。私は正しくやりたかった。
Q:ある意味でこのレコーディングは、実験的だったのでしょうか?
A:実験以上と言える。これらの曲を私たちは何回もやってきたから、スタジオでもちゃんと演奏できることは間違いなかった。正しく録音できるかが問題だった。私たちが採用した方法は、古風と言われるかもしれない。でも私はずっとそうしてレコーディングしてきた。80年代か90年代に入るまで、イヤホンすら使っていなかった。あまり好きじゃなくてね。
Q:何か隔離されるような感覚があるのでしょうか?
A:そう、完璧な断絶だ。自分の頭の中だけで完結させてしまう。イヤホンを効果的に使っている人なんて、見たことがない。偽りの安心感を与えるのさ。スプリングスティーンは使っていないし、ミックも使っていない。でも他の人々は、多かれ少なかれ屈服してしまった。イヤホンなんて使わない方がいい。必要もない。優れたバンドが後ろにいれば、尚更だ。
レコーディングスタジオは、テクノロジーに支配されている。皆テクノロジーに固執している。でも本来は、テクノロジーをアップデートするとは、昔の形に戻すことだ。私はそう考える。まぁそんなことは、絶対に起こらないだろうけどね。私が知る限りでは、スタジオはいつも予約で埋まっている。技術の発展というものが、皆好きで仕方ないみたいだ。そのスタジオが技術的に進歩しているほど、需要が高まる。どこかの企業が牛耳っているようだ。スタジオだけじゃなく、企業はアメリカ人の生活ほぼ全てを牛耳っている。東海岸、西海岸、どこでも皆同じ服を着て、同じ考え方をして、同じものを食べている。全てが加工処理されているよ。
Q:アルバム最初の曲「I’m
a Fool to Want You」 について聞かせてください。このアルバムであなたは、失恋の痛みを力強く表現しています。この曲はフランクシナトラが最愛の人、アバガードナーのために書いたと言われています。かつてあなたは、アーティストは錬金術のように、感情を伝達すると書いていました。「私がこう感じているわけではない」と言っていましたね。「私がやっているのは、効果的に伝えているだけだ」という理解で正しいでしょうか?
A:正しいよ。でもあまり大げさには言いたくない。まぁ、歌手の技量に関係してくるのさ。歌手は皆、三つか四つの技を持っている。それらを組み合わせることができる。ある技は途中で捨てて、別のものを拾い上げる。技は大切だよ。自分だけの技を見つけなくてはならない。自分の技をよく理解して、同時にいくつ使うのか考えなくてはならない。一つだけでは機能しない。三つ以上使っても仕方ないが、技はいつでも入れ替えられる。だから錬金術と似ているね。俳優とは違う。彼らは自分の中にあるものを呼び出して、シェークスピアのドラマなりテレビ番組の登場人物に適用する。歌は少し違う。俳優は自分でない誰かになろうとするが、歌手は違う。何かの後ろに隠れるわけではない。そこが違いだね。今日の歌手は、あまり感情が関与しない曲を歌わされている。そして彼らは遠い過去のヒット曲を歌わなくてはならない。それでは知的な創造性なんて生まれないよ。ある意味では、ヒット曲があるということは、歌手を過去に埋めてしまうことになる。多くの歌手は過去に隠れようとする。そっちの方が安全だからね。今日のカントリー音楽を聴けば、私が言っていることが分かるよ。どの曲もピンとこない。テクノロジーが問題だよ。テクノロジーは機械だ。人間の生活を満たしてくれる感情とは真逆のものだ。こういった時代の変化に、カントリー音楽界は大きな強い打撃を受けている。
このアルバムの曲は、時代から取り残された人々によって書かれた。恐らく私は、過去という枠組みから、彼らを解放しようと試みたのかもしれない。彼らがしていたことは、今や失われた芸術のあるべき姿だ。ダビンチ、ルノアール、ゴッホのように。もはや誰も、彼らのような画を描かない。でも彼らに挑戦することは、悪いことではないよ。
だから「I’m a Fool to Want You」のような曲…私はこの曲を知っている。歌うことができる。歌詞の全ての言葉を、この身で感じたことがある。私はこの曲を理解している。自分で書いたように思えるよ。「Won’t you come see me, Queen Jane」と歌うよりも簡単だ。もちろん昔はそんなことなかった。でも今ではそうだ。「Queen Jane」 は少し時代遅れになっている。時代を超越することはできない。でもこの曲は時代遅れになっていない。人間の感情に関係しているに違いない。感情は不変だからね。これらの曲には、巧妙に策略された部分はない。一つだって間違った言葉はない。歌詞的にも、音楽的にも、不変なのさ。
Q:もし自分が書いていればと、羨ましくなりますか?
A:ある意味では、私の曲じゃなくてよかったと思う。好きな曲なら、自分の作品じゃなくても構わない。曲がどう進むかは分かっているから、その中で私はもっと自由になれる。これらの曲は理解している。40~50年前から知っている。しっくりくる。だからその曲に対して、私はよそ者ではない。自分で書いてきた曲は…何と言っていいか分からないな。世界中を旅して、色々なものを見る。私はシェークスピアが好きだから、旅先でも観に行く。何語でも構わない。何年にも渡り、様々な「オセロ」「ハムレット」「ベニスの商人」を観てきた。そしてあるバージョンは、他のバージョンよりも良かった。はるかに良かった。同じ曲でも、悪いバージョンがあるのと似ている。でも必ず、どこかの誰かが素晴らしいバージョンをやっている。
Q:あなたの「Lucky
Old Sun」が気に入りました。この曲にどうやって惹きつけられたのですか。何か思い出があるのですか?
A:この曲を忘れたことはなかった。私と同年代で、この曲を忘れたことがある人なんていないよ。色んな人が何百回も録音している。私自身、コンサートで歌ったことがあるよ。
Q:本当ですか?
A:本当だよ。でもこの曲の核心に辿り着けたのは、ごく最近だ。
Q:どのように自分のバージョンを作り上げるのですか?
A:曲を骨までそぎ落として、そこに自分ができることがあるかを確かめる。ほとんどの曲には、ブリッジという部分がある。メインのバースが何回も繰り返されると、聴き手は飽きてしまう。ブリッジはその気を紛らわせることができる。私の曲には、ブリッジはほとんどない。叙情詩にはそんなものないからね。「枯葉」のような曲と向かうとき、どういうアプローチの仕方が正しいか、決めなくてはいけない。エリッククラプトンの演奏を聴いてみるといい。歌って、ギターを10分間弾いて、また歌う。その後にまたギターを弾くのかな。思い出せない。彼のバージョンでは、どこに重要なポイントがあるか。もちろんギターだ。彼は二回歌うけど、どちらも同じ歌い方だ。本来なら、違う歌い方をしなくてはいけない。でもエリックなら構わない。彼は素晴らしいギター奏者だし、彼の曲は全て、そこにフォーカスが置かれている。でも他の人には到底出来ないよ。正しいアプローチから逃げるようでは、「枯葉」という曲の核心には辿り着けない。曲の中に入っていけなければ、こういう曲は歌えない。
Q:これらの曲のメロディについて聞かせてください。
A:素晴らしいよ。クラシック音楽の根幹と通じるテーマを持っている。なぜか?これらの曲の作曲者は、皆クラシックから学んだのさ。彼らは音楽理論を勉強し、音楽学校に通っていた。モーツァルトやバッハの作品からヒントを得たのかもしれない。ポールサイモンは、バッハのメロディを用いて丸々一曲を作った。それはベートーベン、リスト、ショパン、ラフマニノフ、ストラヴィンスキー、チャイコフスキーでもよかった。チャイコフスキーは素晴らしいメロディの宝庫だ。このアルバムに入っている曲の、どの部分が何からの引用、ということは分からないけど、その方向から由来しているということは確かだ。そしてこれらの曲のほとんどは、作曲家と作詞家の二人で作っている。
私が知る限り、これを一人でやってのけたのはアーヴィングバーリンだ。彼はメロディと歌詞どちらも書いた。完全な天才だ。その才能は止まらなかった。クラシック曲のテーマからの引用もない。歌詞を書く人はふつう、曲に頼る。作詞家は不思議な人種だよ。想像とは全く違うような人たちだ。あらゆる階層の作詞家がいる。教養のある人、ない人、電話の修理工、植字工、保険屋、家の塗装工、車の職人。ジミーヴァンヒューセンは、スタントパイロットだった。彼らは物事をシンプルに保つ方法を知っていて、普段の日々、ありきたりな人生を理解していた。良い作品を残したよ。
Q:彼らは土地の言葉を話すことができました。
A:彼らは土地の言葉を話した。その通り。これらの曲には巧妙に計算されたところはない。一つだって間違った言葉は入っていない。
Q:ジョニーマーサーは好きですか?
A:大好きだよ。
Q:彼は「枯葉」の英語詞を手がけました。
A:私は彼の作品を敬愛している。最も才能ある作詞家の一人だ。「Jeepers Creepers」「Lazy
Bones」「Blues in the Night」。サウンドチェックでは、彼の作品を多く取り上げるよ。彼がまだ生きていたら、歌が入っていない私の曲を渡してみたかった。彼が何をできるか見たかったな。でもまぁ、彼には値しない程度の曲かもしれない。
Q:あなたの演奏とアレンジからは、尊敬の念が感じ取れます。アレンジは飾り気がなく、あなたの演奏は原曲のメロディにとても忠実です。ご自分の曲を演奏するときよりも忠実です。
A:私はこれらの曲を愛している。無礼なことはしないよ。これらの曲をメチャクチャにすることは、罰当たりになる。でも他の人たちはメチャクチャにしてきて、私たちはそれに慣れてしまっている。おそらく無意識的に、間違いを正したかったのかもしれない。他の人がこれらの曲を取り上げたいなら、そうすればいいし、そうするべきだ。取り上げたくないなら、それもいい。私はこのアルバムを、カバー集とは考えていない。「カバー」という言葉は音楽界の常用語になってしまった。50年代や60年代には、そんな言葉誰も使わなかったよ。小馬鹿にしたような言葉だと思う。何かを覆ってしまう(カバーする)ということは何を意味しているのだろう?隠しているのさ。この言葉は未だに理解できない。
Q:ではあなたは覆いを取り除いている(uncovering)のですね。
A:その通り。いい指摘だね。
0 件のコメント:
コメントを投稿