THE HISTORY
「彼らは私を大地に跪かせ、同時に空高く昇天させた。
そしてメイビスは素晴らしい歌手だった。深くて神秘的だった。
私はまだ若かったが、人生それ自体が神秘だと感じた」
Q:子供の頃はどんな音楽を聴いていましたか?
A:ロックンロール以前では、ビッグバンド音楽を聴いていた。ハリージェイムス、ラスコロンボ、グレンミラー、ジョースタッフォード、ケイスター、ディックヘイムズ。ラジオから流れるものは何でも聴いたし、ホテルでバンドが演奏する音楽も聴いていた。両親が踊り出すようなやつだね。私の家には、ジュークボックスのような大きいラジオがあった。レコードプレイヤーも搭載されていた。
家具は全て、前の居住者が置いていったものだった。ピアノもあった。ラジオ/レコードプレイヤーは、78回転に対応していた。そして私たちが引っ越してきたとき、プレイヤーにはレコードが乗っていた。赤いラベルが付いていて、コロンビアのレコードだったと思う。確かビルモンローかスタンレーブラザーズだった。そして「Drifting Too Far From Shore」を歌っていた。今まで聴いたことがないものだった。その瞬間に、今まで親しんでいた音楽から引き離された。
私は北部の出身だ。家ではラジオが常にかかっていた。恐らく私は、テレビ無しで育った最後、あるいはそれに近い世代だった。ラジオで聴いた歌手が、どんな人なのか想像していたよ。何を着ているのか。どんな動きをしているのか。ジーンヴィンセントなんて、背が高くて痩せている、金髪の男だと思っていた。
Q:その経験が、あなたをより良いリスナーにしましたか?
A:取るに足らない、小さなことを聴くようになった。ドアを閉める音、車の鍵がジャラジャラ鳴る音、木々の間を吹き抜ける風の音、鳥の歌声、足音、ハンマーがくぎを打つ音。牛がモーと鳴いている声。私はそれら全てを一列に並べて、曲にすることができた。日々の生活を、違う方法で聞くようになった。私は今でも昔のラジオ番組を聴くが、ほとんどは今日でも通用する内容だ。ジョークは少し時代遅れだが、状況は大方同じに聞こえる。しかし私はファットマン、スーパーマ ン、インナーサンクタムといった番組を、ノスタルジックに聴いているわけではない。昔の思い出を呼び戻すこともない。単に好きなのさ。
Q:ラジオドラマ以外には何を聴いていたのですか?
A:北部では夜になると、名前も分からないような局が、ロックンロールより前の音楽、カントリーブルーズをかけていた。スリムハーポ、ライトニンスリム、ゴスペルグループ、ディクシーハミングバーズ、ファイブブラインドボーイズオブアラバマ。私は北部に住んでいたので、アラバマがどこかも知らなかった。そして他の時間帯にはブルーズがかかっていた。ジミーリード、ウィノニーハリス、リトルウォルター。シカゴのラジオ局があったな。WSMかな?そこではヒルビリーをかけていた。ライリーパケット、アンクルデイブメイコン、デルモアブラザーズ。土曜の夜には、ナッシュビルのグランドオールオプリーを聴いていた。ハンクウィリアムスがまだ生きているときだ。オプリーのスターたちは私の街にも来て、軍事施設で演奏した。ウェッブピアス、ハンクスノウ、カールスミス、ポーターワーグナー。カントリーのスターを目の当たりにできたのさ。
ある夜、私はベッドでラジオを聴いていた。ルイジアナにあるシュリーブポートの局だったと思う。ルイジアナがどこかも知らなかった。そこでステープルシンガーズの「Uncloudy Day」を聴いた。私が今まで聴いた中で、最も不可思議なものだった。まるで霧がかかっているようだった。翌日の夜にまた聴いて、謎は更に深まった。あれは何だ?どうやって作った?まるで私の身体が透明であるかのように、その曲は私の中を通り抜けた。あの音は何だ?トレモロギター?トレモロギターってそもそも何だ?全く分からなかった。見たこともなかった。私の心の中にあった、自分でも気付いていなかったものを、引きずり出されてしまった。「Uncloudy Day」を二回目に聴いた夜は、眠れなかった。ステープルシンガーズは、他のどんなゴスペルグループとも違っていた。でも彼らはそもそも誰だったのか?
学校でも、彼らのことを考えた。私はミネアポリス・セントポールに行って、ステープルシンガーズのLPを手に入れた。「Uncloudy Day」が収録されていて、私は「おぉ!」という感じだった。私はジャケットを凝視した。教えられる必要もなく、誰がメイビスか分かった。彼女がリードを歌っているのは知っていた。ポップスが誰かも分かった。そういった情報は、レコードの裏面に書いてあった。大した情報ではなかったけど、私を引き込むには十分だった。写真の中にいるメイビスは、私と同じくらいの年齢に見えた。彼女の歌は私を打ちのめしたよ。ステープルシンガーズはよく聴いた。他のゴスペルグループよりも沢山聴いた。私は精神的な歌が好きだ。真実であり、真剣であり、私を感動させてくれた。私を大地に跪かせ、同時に空高く昇天させた。そしてメイビスは偉大な歌手だった。深くて神秘的だった。そして私はまだ若かったが、人生それ自体が神秘だと思った。
これは全て、フォークが私の人生に入ってくる前の話だ。私はまだ熱烈なロックンローラーで、ロックンロールを最初に演奏した世代の子孫と言えるかもしれない。その世代は皆、叩き潰されてしまった。バディホリー、リトルリチャード、チャックベリー、カールパーキンス、ジーンヴィンセント、ジェリーリールウィ ス。彼らは黒人文化と白人文化を混ぜ合わせた音楽をやっていた。とても扇情的で、近寄れば燃え移ってしまいそうだった。黒人文化とヒルビリー文化の融合だった。初めてチャックベリーを聴いたとき、彼が黒人だとは思わなかった。白人のヒルビリーだと思った。その当時は思いも寄らなかったが、彼は素晴らしい詩人だった。「TWAで砂漠の上を飛んでいると、砂を横断する女性を見つけた。彼女はボンベイまでの30マイルを、金髪のハンサム男に会うためだけに歩いているのさ。」当時は詩のことなんて分からなかったから、この言葉は私の横を通り過ぎた。こういう歌詞を書くことが大変だと、実感したのはもっと後だった。
チャックベリーは、音楽業界の中に存在するものなら、何にでもなれたと思う。ジャズシンガー、バラッドシンガー、ギター名手。何にでもなれた。彼には精神的な一面もある。50年か100年の間に、彼は神聖なアイコンと捉えられるようになるだろう。そして彼がやっていることは、とても難しい。常に8度の音を弾きながら歌い、フィルを弾きながら歌う。歌いながらギターを弾くことなんて簡単だと、人々は思っている。そんなことはない。自分の歌に合わせて、つま弾くだけなら簡単だよ。でも本当に弾くことは難しい。それができる人は少ない。
Q:そして彼はいつもバンドのメインギター奏者でした。
A:彼は唯一のギター奏者だった。でも彼らの世代を潰そうとしたエリート層の圧力があったことは間違いない。ロックンロールの意味と、それが象徴したものを理由に、叩き潰そうとした。黒人文化と白人文化の融合という点が、特に問題だった。
Q:ロックンロールとは音楽的な人種の混合で、それこそが危険だったということですか?
A:人種的な偏見は、長い間存在している。それは都市部の父親たちにとって、危険だった。ロックンロールが何か分かったとき、彼らはそれを廃絶しようとした。賄賂スキャンダルを仕掛けた。黒人の要素はソウルミュージックに、白人の要素は英国ポップに分割された。私はロックンロールを、カントリーブルーズとスウィングバンド音楽の融合だと考えている。シカゴブルーズや、モダンポップではない。本当のロックンロールはいつ無くなったのだろう?1961年?1962年?でもロックンロールはいつでも私のDNAの一部だから、決して私の中から消えたりはしない。私はロックンロールを、私が他にやっていたことに融合させたのさ。これで質問の答えになっているかな(笑)。質問が何だったかも思い出せないよ。
Q:あなたがメイビスステープルズから受けた影響と、彼女に感じた心のときめきについて話していました。
A:あぁ、ステープルシンガーズ!メイビス!ステープルシンガーズの写真を見ながら、私は自分自身に言ったよ。「いつかお前は、彼女を腕に抱くことになるぞ。」10年後、私は本当に彼女を腕に抱いていた。とても自然に感じたのを覚えている。まるで今まで何回もそうしてきたように。まぁ、心の中では何回も腕に抱いていたよ。
Q:彼女を腕に抱いたとき、10年前に考えていたことを思い出しましたか?
A:まさか!私は速いスピードで進んでいた。思い出したのは、それから更に10年後だよ。
Q:あなたは若いときに、ウディガスリーのレコードを探し求めました。同じようにミックとキースはブルーズのレコードを探してロンドン中を駆け回り、ニールヤングはイアン&シルビアを聴くために、ジュークボックスに25セントを入れ続けました。そして今ではインターネット上でボタンを押すだけで、歴史上録音されたものをほぼ全て聴くことができます。それが音楽をより良くしたと思いますか?それとも悪くしましたか?価値を高めましたか?それとも下げましたか?
A: これだけ大量の音楽が手に入るとき、一体何を聴くのだろう?何曲を同時に聴けばいいのだろう?頭がパンクするよ。結果的に、全てがぼやけてしまうと思う。 昔は、もしメンフィスミニーを聴きたかったら、彼女の曲が収録されているコンピレーション盤を探した。そして同じレコードに入っているサンハウスやスキップジェームズ、メンフィスジャグバンドも聴くことになる。そして次に、メンフィスミニーの他の曲を、他の場所に探すようになる。ここで一曲、あそこで一 曲、という具合にね。彼女がどんな人だったか、理解しようとするのさ。まだ生きているのだろうか?まだ演奏しているのだろうか?私に何か教えてくれるかな?デートできるかな?彼女のために、何かしてやれるかな?彼女は何かを必要としているだろうか?でも今では、もしメンフィスミニーを聴こうと思ったら、一千曲だって手に入る。他の演奏家、例えばブラインドレモンも同じさ。昔は「マッチボックス」や「Prison Cell Blues」くらいしか聴けなかった。これらの曲が突出していた。でもブラインドレモンを100曲も一気に聴いたら、「うわぁ、これは多過ぎだ!」となってしまうよ。あまりにも簡単で、ありがたく思うことは減るだろうね。
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