2014年12月6日土曜日

Morrissey Interview / Vegan Logic (2014.11.28)

トルコのジャーナリストである Zülâl Kalkandelenさんが運営されている、Vegan Logicというウェブサイトに掲載されたモリッシーのインタビューです。音楽だけでなく、政治や社会学にも造詣が深いと思われ、とても中身の濃い内容となっています。なお、今回のインタビュー翻訳、掲載に許可を出して頂いたZülâl Kalkandelenさんに感謝致します。

URL:http://www.veganlogic.net/2014/11/morrissey-your-real-home-is-your-body.html 
出版日:2014年11月28日

以下、筆者による翻訳。 

唯一無二の存在であるモリッシーをインタビューするのも、今回で三度目であり、とても嬉しく思います。今回のインタビューは、モリッシー、ジェンダーの役割、セックス、そして愛について着目する、「Vogue Turkey」誌へ寄稿する記事のために慣行しました。以下は、彼からの素晴らしい回答です! もしご興味があれば、初回のインタビューhttp://www.veganlogic.net/2012/07/morrissey-you-saved-my-life.htmlと二回目のインタビューhttp://www.veganlogic.net/2014/09/morrissey-last-thing-security-forces.htmlも御覧になれます。 

Zülâl Kalkandelen

Q:30年前、「Pretty Girls Make Graves」という歌の中で、あなたは「僕は君が思っているような男ではない」と言いました。あの歌は、世間一般の「女らしさ」というものが信じられなくなる物語でした。そして新しいアルバムの「I’m Not a Man」という曲で、あなたはカサノバやドン・ファンを嫌悪しています。「Smiler with Knife」という曲では、「セックスと愛は同じではない」と歌っています。この世界では常に純粋さや意味といったものが探究され、あなたの歌詞は色情よりも愛を求めています。愛とセックスを切り離すという考えについて、あなたの意見を教えて下さい。
A:まぁもちろん僕らは、相手の肉体を求めずとも友達を愛する一方で、知的には何も訴えかけてこない人との、肉体的格闘とでも言おうか、を欲することもある。ほとんどの人々が、人間性には絶対的な一つの側面しかないと考えていることが、問題だよ。「自分自身」というものには多くの異なるバージョンがあり、僕らは数多くの要素で構成されている。15歳になると「好き」「嫌い」という単純で分断的な考えに囚われ、そこから抜け出せなくなる。28歳になると「いやぁ、ぜひやってみたいけど、ちょっと無理だよ」とこぼすようになる。本当に感じていることを口にすることに対して、僕らはまるで化石のようだ。もちろん実際には、誰もが別の誰かの性的魅力に惹かれている。だけどそんなことは全く何も言わずに、僕らは死を迎える。人々は定められた秩序の下に生活し、その秩序を無視すれば糾弾の対象となる。 

Q:「Smiler with Knife」はニコラス・ブレイクの同名書籍を基にしているのですか?
A:そんな本があるなんて知らなかった。僕のオリジナルなフレーズだと思っていた。残念だよ。

Q:何年も前に、レナード・コーエンは「I’m Your Man」という名曲を作りました。一方であなたは「I’m Not a Man」と歌っています。ジェンダーという考えから自らを隔離し、超越する存在になることが、自身の解放になるのであれば、何故ほとんどの人々は躊躇するのでしょうか。
A:僕は躊躇なんてしない。でなければステージで歌ったりしないよ。そもそも、法律や他人が作り上げた基準なんてものに、自分の身体やジェンダーを批判させたくはない。そんな考えは今や過去のものだ。人間というものは、僕らが信じ込まされてきたより、ずっと複雑だ。だからこそ面白い。たとえデートに誘いたい相手に近寄っていく時には生命保険は適用されず、死の床へ向かうときにしか適用されないとしてもね。

Q:表現者として、あなたはどんな役柄/人格でも身にまとうことができます。しかし興味深いことに、あなたの歌の中では、あなたは常にあなた自身です。主語は常にあなた自身であり、あなたの物語、あなたを取り囲む人々、そしてあなたが生きている社会について語っています。あなたが今までに書いた歌の中で、女性の視点から作られたものはありますか。
A:世の中の男性は、皆一度は女性の体内に存在していた。だから男性とか女性というものの境界線は、僕らが信じ込まされてきたほど、ハッキリと分断されているわけではない。性別を分けることはお金を生む異性間の離婚は巨大なビジネスだし、その他もろもろ赤ん坊を目の前にすれば、どんなにアグレッシブな政治活動家も黙るだろう。結婚していること、子供がいることは常に社会的信用の指標とされてきた。そしてそういう人は政治支配し易く、脅し易くなる。でも僕らが未婚の社会思想家として結集したら、政治家も統制できなくなるよ。結婚したほとんどの人々は地獄への一歩を踏み出していて、何百万もの未婚の人々は完璧に幸せだ。まぁ、どちらもテレビコマーシャルで見ることは無いイメージだけどね。

~第四のジェンダーの預言者~ 

Q:80年代に、あなたは自身を「第四のジェンダーの預言者」と呼んでいました。社会が強いるジェンダーという考えから抜け出すために、単なる言葉遊びをしていたのでしょうか。それとも本当にそう感じていたのですか。
A:あのフレーズは明らかにやり過ぎの感はあったけど、僕は真剣だった。世の中にある三つのジェンダーというものに、全く共感できなかった。僕は狂人ではないし、怒りで精神が錯乱しているのでもない。23歳のとき、僕はセックスというものから隔離されていて、近づく術なんて無かった。それでも僕が存在する意義は何だったのだろう。恐怖故に、僕らは他人を真似する。そうしないと自分自身を説明させられることになる。そして人々はこれをとても嫌がる。新たな意識を持って自身と向き合うことは、刺激的過ぎるようだ。彼らの多くはワナにはめられ、命令され、そして疎外されることでさえも好む。でも実際は、僕らの内には多くの引き出しがあり、自分自身を驚かせることもある。しかし僕らのほとんどは、単純に無視を決め込もうとする。僕らが創造され、この惑星に存在しているのは、住宅ローンを払うためだけではないだろう。 

Q:「Morrissey : Fandom, Representations and Identities」という本には、ジェンダーという支配的な考えや性の規範というものをあなたが超越していると書かれています。「モリッシーは、原型が分からなくなるほど、ポピュラーカルチャーを分解したりしない。彼がユニークなのは、支配的な規範というものを認識した上で、別の方法を使ってそれを分解することだ。モリッシーは支配的な論説に対して、アグレッシブに反対する人ではない。彼は中間的な立場に身を置き、超越された論説を私たちに提供している」私はこの文章から、あなたは破壊を望むのではなく、再構築を試みていると理解しました。あなたが提供する超越された論説は、あなたの言葉、歌詞、そして外見にファンが自信を投影し、判断、解釈することを許していると言っていいですか。
A:それこそが狙いだよ。願わくは、僕は皆にとって利用価値がある存在だといいね。自分の抱いている感情が、他の人も抱いていると分かれば、自然と寂しさは減るよね。僕らが本当に帰る場所は、家やアパートではなく、自分の身体だ。だけど多くの人にとって、静かに座り、自分自身の感情と向き合うことは、苦痛を伴うようだ。そうあるべきではないよ。もしそうなら、今すぐに変わらなければならない。29歳までに僕らは皆疲れ果て、40代に突入するときは、あたかも死に突入しているかのようだ。でも実際は、40代の始まりは20代のそれより良いものだよ。人間は余りに長い間、加工薬品のように扱われてきたと思う。今こそ椅子に身を沈め、グラス一杯のワインを飲むように自分自身を吸収し、今まで強制されてきた時代遅れな行動パターンを止めるべきだ。どうすればいい。簡単だよ。始めればいい。僕らに何かを押し付けようとする人々を恐れる代わりに、目の前に新しい疑問を提供してくれる人に感謝するべきだよ。

~セックスとは単なる考えか?~

Q:先ほどの本には、あなたが同性愛的になることなく、脆弱性や感受性の豊かさを表現しているとも書かれています。そのような男らしさを具現化するということは、「男性は活発で女性は受け身」と信奉する美辞麗句よりも、はるかに開放的であると言えます。これらは、私があなたの音楽に捕えられた主な理由の2つでもあります。アーティストとして、音楽の中でセックスとジェンダーを切り分けるという考えは、最初からあったのですか。それとも徐々に発展していったのですか。
A:まず僕は、「humansexuality」というものを信じている。僕らは皆人間で、皆人間を愛している。もし全ての議論をそこで終了させることができるなら、皆が幸せになれるよ。しかし実際には、自らの性的欲求を明確にし、制限するよう求められ、他人が僕らとの関係性を瞬時に判別できるようにしなくてはならない。これはつまり、「どんなに長く生きても、僕らは新しい人生と新しい考えを持った、新しい人間になることはできない」と認めているようなものだ。性的区別というものは、どうしてこんなにも乗り越えられないのだろう。誰もが対外と体内の現実の差に困惑している。それなら一緒にしてしまえばいい。僕たち皆をワナにはめているのは、凝り固まったモラルだ。もし人々が、例えば、自由に身体を共有できれば、人生はもっと満ち足りたものになる。相手の意志に反した行動なんて、もちろん僕は推奨しない。だけど人生の始まりから終わりまで、セックスやジェンダーといったことについて、人々が全く何も口に出さないことはとても興味深いよ。人々はまるで、性的なトピックからは国外追放されているか、何か強い罪の意識に囚われているかのようだ。最も身近な友達が自分の身体についてどう思っているかは知らないけど、日常の取るに足らない無意味なことについて、彼らがどう思っているかは知っている。僕たちは皆、怠慢さの中で凍結しているのだろうか。セックスとは単なる考えでしかないのだろうか。

Q:なぜ社会は強い女性を批判するのでしょうか。
A:雄牛は牝牛を追いかける。その逆はない。 

Q:80年代に、あなたは「服はもはや魂を表す窓ではない」と言いました。スミス時代には、あなたはステージでグラジオラスを使い、華麗さを提供していました。対照的に、他のメンバーはギャングのように、皆セーターを着ていました。これら全ては、あなたがあなた自身のものであると世界へ示すために、初日から計画されていたことですか。
A:いや、他の3人が怠慢だっただけだよ。

Q:シャツを引き裂いて自らの身体を観客に提示するシーンは、あなたのコンサートにおけるハイライトの一つです。世界中であなただけが持っている、あの男性らしい身体は、全てを解放する象徴ですか。
A:まぁ僕にはこの身体しかないからね。他の身体を晒すことはできないよ。でも何か熱狂的な瞬間にしたいわけではないよ。僕は魅惑的だと思われたいのではく、むしろ、いつも内にいたいという人間の欲求から抜け出してほしい。服の中、車の中、家の中人間は「内にいる」ことや「包まれている」ことに取りつかれ、抒情的で素晴らしい自由という考えには全く安心できない。でもこれは後天的に得た考え方のように思える。僕らはかつて「wild(=野生の)」と呼ばれる存在だった。でも僕は「wild」とは「free(=自由な)」を意味していると思う。動物が「野生に生息している」とか、「野生の動物」という表現を聞くよね。でもこれは、彼らが檻の中に閉じ込められていないという意味だ。彼らは野生ではなく自由だ。とにかく、人類は習慣的に全てを疑ってしまうけど、それはとても悲しく、地球を残念な場所にしている。そう、セックスは物事の真実に行き着くが、性的区別なんてものよりも深い感情があるよ。

Q:あなたがリンダー・スターリングに行った素晴らしいインタビューを拝見しました。あなたが彼女に与えた質問をします。「もしあなたが女性の体に宿っているとしたら、あなたの作品はどのように変わるでしょうか」例えば、ステージでシャツを脱ぎますか。
A:いまよりも、さらに速く脱ぐだろうね。

~歌手であるか、単なるコスチュームになるか~ 

Q:「How Music Works」という本で、デヴィッド・バーンは「音楽パフォーマンスにおいては、破局についてだろうが、苦しい局面にいることを歌っていようが、その歌手が今ステージ上で満ち足りているかどうか分かる。俳優にとって、これは受け入れがたい。なぜなら幻想を壊してしまうから。でも歌っている人はどちらの方法でもとることができる。」と書いています。ステージで「I Know It’s Over」や「Asleep」を歌っているとき、あなたはどんな気持ちなのだろうと、いつも疑問に思っていました。そんな極めてパーソナルな瞬間に、あなたは一体どんなことを考えているのですか。
A:僕はその歌を作り上げた過程を、決して忘れたりはしない。だから2014年になっていようが、今ではまともな銀行口座を持っていようが、少しは友達がいようが、その痛みは消えたりしない。もしある歌が多くの人にとって大切なものになったとすれば、それは偶然ではない。感情に訴える歌を歌うことは、人の信頼につけ込むことではない。本当にそう感じていなければ、できないはずだ。でも演技については、デヴィット・バーンには賛同できないな。多くの偉大な俳優は、失敗というものを気品に満ちた高尚な方法でやってのけ、それ故に僕らは彼らをもっと愛していると思う。僕たちは、皆のために美しいものを作り上げた表現者を判別することができるし、彼らがそのために苦しんだことも分かる。だからこそ、僕らは彼らをいつまでも愛する。そして「音楽パフォーマンス」という言葉にも、賛成できない。もしある歌を歌うことに、真実の、身体的な必要性を持っているなら、パフォーマンスなんてしないよ。パフォーマンスとは強制された人工的なものだ。歌手になるか、単にコスチュームになるか、そのどちらかだよ。

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