2016年2月7日日曜日

Bono Interview / Rolling Stone (2016.01.29)



129日に発売された米Rolling Stone誌のデヴィッド・ボウイ追悼号に掲載された、ボノのインタビューです。感動的ですよ。

リリース日:2016127
URLhttp://www.rollingstone.com/music/features/bono-remembers-david-bowie-he-is-my-idea-of-a-rock-star-20160127 

以下、筆者による訳。


僕はロックンロールスターのフリをしているけど、実際は違う。デヴィッド・ボウイこそが、僕の考えるロックスターだ。僕は今ミャンマーにいて、彼の死に対する世間の反応からは、少し切り離されている。でもスターマンがいない今、この空は以前よりずっと暗く見えるよ。

初めて彼を見たのは1972年のTOP OF THE POPSだった。彼は「Starman」を歌っていた。生気に満ち溢れ、聡明で、鮮やかだった。当時、僕の町に初のカラーTVがやって来た。そして彼こそが、カラーTVが必要な理由だった。僕たちの時代にとっては、彼がエルヴィスだった。多くの共通点があるよ。男らしさと女らしさの両立。完璧なステージ上の身のこなし。彼らは最初の輪郭を作ったのさ。今では当たり前になっているけど、彼らより以前には存在しなかった。

彼ら二人には、別世界からやって来たような雰囲気があった。ボウイと一緒にいれば、その世界に通じる扉と出会えるかもしれない。そんな漠然とした予感があった。「Life on Mars?」は10代の僕に対し、地球上の生命について問いかけていた。僕たちは本当に生きているのか?本当に地球がこの世の全てなのか?
ボウイが開けてくれた扉のいくつかは、他のアーティストに続いていた。ベルトルト・ブレヒトやウィリアム・バロウズ。そして彼が早くから注目していたブルース・スプリングスティーン。そして僕にとって最も重要な扉は、ブライアン・イーノだった。

自分をデヴィッドの友達と考えたいけど、どちらかといえばファンだね。「Achtung Baby」をミックスしている最中に彼はやって来て、ベルリンやハンザスタジオを紹介してくれた。僕たちは冗談を言い合った。ときには度が過ぎて、お互いを傷つけ合うこともあった。彼は自分の娘をスパイダーマンのミュージカルに連れて行った後に、気に入らなかったところを教えてくれた。彼のアドバイスは助かったよ。公演が始まったばかりの頃だったからね。

ここ最近、僕はブライアン・イーノとコンタクトをとっている。彼はデヴィッドからお別れの手紙を受け取って、僕にも見せてくれた。とても素晴らしい、面白い手紙だった。非現実的で、大胆で、まるで逃げ出す直前のようだった。ブライアンも僕も、亡くなる少し前からデヴィッドのことを考えていた。クリスマス休暇の間ずっと、長女のジョーダンと僕は「Blackstar」を聴いていた。彼女は2歳のときにデヴィッドと会った。彼からピクシーと呼ばれていた。そして生涯にわたる彼のファンになったのさ。

ボウイにはポップスターとピカソの二面がある。その丁度中央にいるときの彼が好きだ。曲自体はコントロールされているけど、録音はコントロールされていない。大衆主義と芸術の双方に、均等に接近しているときだ。「Blackstar」はかなり芸術寄りの作品だから、本来なら僕は気に入るべきじゃないのかもしれない。でも僕もジョーダンも本当に大好きだよ。

今年は彼女と二人で、彼の誕生日をお祝いした。そのときの写真を彼に送ったよ。長いメールと共にね。「Love and Fear」というマイケル・レウニグの美しい詩も付け加えた。「この世には二つの感情しか存在しない。愛と恐れだ」という一文がある。彼からの返事はなかったけど、僕のメールを受信してくれたとは聞いている。

作曲家や歌手として、究極的には、思考と感情が僕たちの強みだ。オリジナルな思考を持っていそうな人がいても、その音楽が持つ風景は大して独特じゃない。でもボウイの音楽が持つ風景は、他の音楽とは全く異なる方法で、僕たちに影響を及ぼす。目を閉じて、言語を忘れ、曲を感じ取る。「僕のどの部分が演奏されているのだろう」「その部分は、他の人にも演奏できるだろうか」と考える。

答えはノーだ。僕のある部分は、デヴィッド・ボウイにしか演奏することができない。だから今、その部分は空っぽだ。他のやり方で目覚めさせるしかないようだ。でも僕が14歳のとき、その部分は確かに一度目覚めたのさ。

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