2016年2月7日日曜日

Trent Reznor Interview / Rolling Stone (2016.01.29)


同じく米Rolling Stone誌に掲載された、Nine Inch Nailsのトレント・レズナーによる追悼文です。幼い頃からのファンであり、ボウイと共にツアーした彼の想いが溢れています。

リリース日:2016126 
URLhttp://www.rollingstone.com/music/news/trent-reznor-recalls-how-david-bowie-helped-him-get-sober-20160126 

以下、筆者による訳。

ボウイのアルバムは、一枚一枚全てに思い出があるよ。レコードの全盛期、僕はよく友達の家に行き、彼が地下室に保存していたコレクションを聴いた。最初にハマったのは「Scary Monster」だった。そこから遡って、ベルリン三部作も聴いた。すごい衝撃だった。90年代の初頭、僕は観客とステージに立っていた。完全なるボウイ信者になっていたよ。彼にまつわる全てを読み込んだ。歌詞に隠れたヒント、謎めいた写真、雑誌の記事。僕にとって彼はどういう存在か?彼の音楽を通して、僕は自分と関わり、自分が誰なのかを理解した。何が実現可能で、何がエンターテイナーの役割なのか。そして、この世にルールなど無いと教えてくれた。まるで啓示だったよ。

そして90年代の中頃、彼から連絡を受けた。「一緒にツアーしよう!」どれほど光栄で非現実的だったか、とても言い表せないよ。実際に会った彼は、嬉しいことに、僕の期待を遥かに超える人物だった。魅力的で、お茶目で、満たされていて、勇敢だった。また新たな刺激を与えてくれたよ。

リハーサルに入り、どのようなツアーにするか話し合った。正直に言って、複雑な気持ちだったよ。当時の僕たちは、北米で彼よりも売れていた。でもデヴィッド・ボウイが前座をやるなんてあり得ない。彼は言った。「僕は人々が求めている曲を演奏しない。実は奇妙なアルバムを完成させたばかりなのさ。僕たちはベルリン三部作と、そのアルバムの曲を演奏する。望まれていることではないけど、やらなきゃいけないことだ。そして君たちなら、僕を毎晩驚かせてくれると信じているよ」噂に聞いてきた、彼の勇敢さを目の当たりにしたのさ。

全てのステージを一つの流れにした。まず僕たちが演奏する。次にデヴィッドが加わり、「Subterraneans」を一緒に歌う。彼のバンドも出てきて、全員で演奏する。そして僕たちはステージから降りる。ボウイが隣で「Hurt」を歌ってくれたことは、人生で最高の瞬間だ。最大の影響を与えてくれた人が隣にいて、僕がベッドルームで書いた曲を歌ってくれたんだからね。

彼に対する反応は、苦々しいものだった。真夏の野外ライブで、32オンスのビールを飲んだ観客は「Changes」を求めていた。ステージで繰り広げられる芸術作品ではなくてね。でも彼はやりたいことをやった。とても印象的だった。人々に見てもらい、お金を貰うとき、僕は今でもこの体験について考える。

当時の僕はメチャクチャだった。バンドの人気がピークに達していた頃で、僕の人格は破壊され、手に負えなくなっていた。僕に対する人々の接し方が変わった。ガス代すら払えなかったのに、いつの間にか満員のアリーナに立っていた。しかも彼らは僕のことを知っていると思い込んでいる。ステージ上の自分と、かつての自分との境目がぼやけ始めた。毎日を乗り切るために、僕はドラッグと酒で自分を麻痺させた。気が大きくなって、何でも対処できそうに思えた。バンドは巨大化したけど、人間としての僕を支える足場は壊れ始めた。どこまで悪い方向に進んでいるかは分からなかった。でも心の中では、こんなことが続けられるはずがなく、自己破壊に向かっていると理解していた。

僕が会ったとき、デヴィッドは全てを乗り越えていた。幸せで、満たされていた。彼の人生は平和で、素晴らしい奥さんがいて、愛し合っていた。彼と僕が二人きりになると、叱るわけじゃないけど、知性溢れる言葉を与えてくれた。「もっと良い生き方がある。最後に待ち受けているのは、必ずしも悲しみや死じゃないよ」

それから丸一年後、僕はどん底に落ち、全てから足を洗った。それまでに僕がとった行動、損なってしまったチャンス、そして周囲に与えた損害に気付いた。そしてデヴィッドと一緒にいた時期を思い出して、自分が100%の状態じゃなかったことを悔やんだ。「I’m Afraid of Americans」のビデオには、最悪だったときの僕が映っているよ。頭がいかれていて、自分という人間を恥じていた。だからあのビデオを見ると、複雑な気持ちになる。関わることができて光栄に思う一方、当時の自分には心底うんざりしている。未だに悔やんでいるよ。

数年後、ボウイはLAにやって来た。僕はどうしても彼に感謝したかった。妙に恥ずかしい気持ちで楽屋を訪れ、「お久しぶりです。僕はあのとき床に嘔吐した」と言った。その瞬間、僕は再び、温かくて優雅な愛情に包まれた。「あなたに伝えたいことがあります。僕は全てから足を洗って」僕が言い終わる前に、彼は強く抱きしめてくれた。「分かっていた。君ならできると僕には分かっていた。君なら抜け出せると信じていた」思い出すと今でも鳥肌が立つよ。僕の人生における、もう一つの最高の瞬間だ。

僕たちにはまだ、一緒にやることが残っていたと思う。彼は人生の相談相手であり、僕を気にかけてくれる父親のようだった。愚かさに溢れ、レベルが下がる一方の世界でも、偉大で妥協しない意思は生き続けることができる。彼はそう思わせてくれたのさ。

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