Esquire Magazineというイギリスの雑誌に掲載された、ノエル・ギャラガーの最新インタビューです。アメリカで1993年から続くEsquireのイギリス版?という感じでしょうか。
生い立ちから現在までを総括したような内容になっています。プライベートや仕事を問わず、かなりオープンに喋っています。濃いです。
掲載日:2015年11月5日
掲載日:2015年11月5日
ブリットポップから20年後を経た今もなお、ノエル・ギャラガーは最も饒舌なロックスターだ。本誌のためだけに、オアシスの紆余曲折、結婚、中年の危機(midlife crisis)、名声、父親であること、ソロ活動、そして絶滅危惧種の最後であることについて語った。
インタビューの相手が多弁で、何にでも意見を持ち、オープンで面白い場合、私たちジャーナリストの仕事は、フル充電したレコーダーを持参し、録音ボタンを押すことだけだ。座って相手のお喋りを楽しめばいい。適切なタイミングで頷き、笑い、必要に応じて顔に疑問符を浮かべればいい。
「正直なところ」私が話に割り込もうとすると、うんざりした様子で彼は言った。「君は俺の奥さんみたいだ。邪魔をしないでよ!」
しかし私が何か言おうとしたら、彼は既に別の話題に移っていた。
彼の回答は常に知的で正直、ときには怒りに満ちている。そして彼はインタビューされること自体を楽しんでいる。
「インタビューは俺の趣味だよ!何時間でもやっていられる。最高だ。これをやっている間、俺はクソ野郎になれる。俺は絶滅危惧種の最後なのさ」
3人の子を持つ48歳。シュッとした体にネイビーのシャツを着て、薄いグレーのズボン、濃いグレーの靴に身を包む。絶滅危惧種最後の1人は、決して大柄な男ではない。しかし確かな存在感がある。
太い眉毛、クシャッとした髪、北部で育った武骨な顔つき、強いアクセント。自信過剰の皮肉屋。自分の地位と判断力に絶対の信頼を置く。しかしどこかチャーミング。自嘲的な笑みを浮かべ、自らの発言に大笑いする。
1991~2009年の約20年間、ノエルはオアシスのリーダー、ソングライター、ギタリスト、スポークスマンだった。リードボーカルを務める弟リアムと共に、雑誌やTVを騒がせた。7枚のアルバムをリリースし、累計7千万枚を売上げ、世界中のスタジアムで演奏した。ぼさぼさ頭でプレミアリーグのシャツを着た人々の、熱狂的でビールにまみれた大合唱。1996年のネブワースには25万人が集まった。200万人がチケットに応募した。オアシスは当時、他の何よりも巨大な存在だった。
アイルランドから移住してきた両親は、カトリック教徒の労働者階級だった。父親の暴力は酷く、ノエルは文句無しの不良少年だった。ビートルズ、ローリング・ストーンズからザ・スミス、ストーン・ローゼスまで、イギリスのロック音楽にどっぷり浸かり、ギターを独学で習得、80年代後期にはマンチェスターの音楽シーンに没頭した。ハシエンダに通い、ランカシャーで踊り、ローディーとして働いた。そしてリアムからバンドに入るよう誘われた。ノエルは既に曲を書いていた。勢いがあり、推進力に満ち、大合唱を促す曲たち。そしてその後、彼らに富と悪名をもたらした曲たち。
オアシスは世界征服という使命を与えられたバンドだった。ずうずうしく、自信過剰で、敵対的。彼らは時代の精神を体現していた。その音楽は90年代を定義した。
バンド在籍中、ノエルはコカインにハマり、人々を侮辱し、殴り合いの喧嘩を起こし、富を築いた。メグ・マシューズと結婚し、娘をもうけ、離婚した。やがて新しい妻、サラ・マクドナルドと出会い、2人の息子に恵まれた。
2009年8月にオアシスは終わった。リアムとの喧嘩が原因だった。その2年後、ノエルはHigh Flying Birdsとしてソロ活動をスタート。今年の始めに2枚目のアルバムをリリースし、既に次回作へ取り掛かっている。友達であるポール・ウェラーやモリッシーのように、イギリスのロック界におけるご意見番となった。彼を取り囲む混沌は収束し、今の彼は幸せな夫、そして父親である。しかしその切れ味は未だ鋭く、刺激への欲求が渦巻いている。
混乱に満ちた幼少時代、不安定だった成長期、オアシスの成功、ドラッグと女性関係、バンド解散、そしてソロ活動。様々な話題を行ったり来たりしながら、彼が何回も口にしたことがあった。英国ロックの死、今日の殺菌消毒されたメインストリームポップ界、そしてかつてのオアシスと同じような存在の欠如。
これこそ「絶滅危惧種の最後」と言うときに、ノエルが意味するところだ。大声で、無分別で、堂々とした、世間の話題をかっさらうロックスター。古くから続くロックンロールの伝統を、彼は引き継いでいる。「貧しい少年たちが成功を収めるストーリー」と彼は言う。彼はかつてのレノン、ライドン、ウェラーと同じ立場にいるが、その後継者はまだいない。現代の音楽業界は、愛想が良くて規則に従うポップスターを好む。彼らはドラッグよりもキャリアを気にかけ、スーパーモデルと遊ぶよりもSNSを心配し、危険や破壊に満ちた曲よりも退屈で安全な曲を書く。
これこそ「絶滅危惧種の最後」と言うときに、ノエルが意味するところだ。大声で、無分別で、堂々とした、世間の話題をかっさらうロックスター。古くから続くロックンロールの伝統を、彼は引き継いでいる。「貧しい少年たちが成功を収めるストーリー」と彼は言う。彼はかつてのレノン、ライドン、ウェラーと同じ立場にいるが、その後継者はまだいない。現代の音楽業界は、愛想が良くて規則に従うポップスターを好む。彼らはドラッグよりもキャリアを気にかけ、スーパーモデルと遊ぶよりもSNSを心配し、危険や破壊に満ちた曲よりも退屈で安全な曲を書く。
「俺にとって最悪の質問は」彼は言う。「新しいアルバムについて聞かせてください、ということさ。どうしてそんなことを聞きたがる?レコードに全てが詰まっているよ。この曲のあそこでGマイナーからF#メジャーに移行する理由なんて、誰も興味ないだろう。俺は全てのことに意見がある。もし無ければ、今この場ででっち上げるまでさ」
1. 努力と口の悪さ
俺はマンチェスターのLongsightで生まれた。治安が良いとは言えない場所だ。70年代にショッピングモール建設のため、俺たちが住んでいた通りは取り壊された。次はBurnageという町に移った。当時はまだ開拓されていない郊外地域だったけど、Renold Chainsという船の碇を作る会社があった。80年代にそこが倒産した。皆が職を失い、町は終わりを迎えた。ますます寂しい土地になった。あの地域は今でも荒れている。店は板張りにされているよ。
母親は11人(兄妹?)のうちの1人だった。11人のうち7人が、アイルランドからマンチェスターに移住した。全員が5平方マイルの中に集まって暮らしていた。今でもそうだよ。誰もそこを離れない。あの辺りでつい4ヶ月前、銃殺事件があった。でも彼女は全く気にしていない。本当にあそこが好きらしい。
努力と口の悪さ。俺が母親から受け継いだものだ。それとストア主義?彼女はハードコアだ。後先なんて考えない。
子供の頃、地元の教会から誰かが家にやって来た。母親は俺たちを全く教会に連れて行かなかったからね。彼女はそいつに言ったよ。「教会が私に何をしてくれたっていうの?私は自分の手で、この人生を動かしている。この子たちが教会に行きたいなら、止めはしないけどね」教会に行く?冗談はやめてくれよ。
父親からはマンチェスター・シティへの愛情を受け継いだ。そして彼はアイルランド人社交クラブのDJだった。なかなかのレコードコレクションを持っていた。でもベスト盤しか持っていなかった。the Best of Drifters、the Best of A、the Best of B…おかげで俺もベスト盤好きになってしまった。
俺は三兄弟の真ん中っ子だった。同じく真ん中っ子の人とは気が合うよ。一歩下がってリラックスしたような雰囲気がある。俺は子供の頃ずっと一人ぼっちだった。未だにそれを引きずっている。周りに人がいなくても平気なタイプだ。
兄貴のポールはDJだ。俺やリアムのツアーに同行して、行く先々でイベントをやっている。そのフライヤーに俺たちのバンドロゴが入っている。奴が抱える最大の問題は、文章と文章の間を切らないことだ。だから何時間も喋り続ける。やがて何を話しているのか分からなくなる。加えて自分のことを、俺やリアムよりも優れた歌手だと思っている。それはどうでもいいけど、まぁ良い奴だよ。
自分の生い立ちを嘆く人は大体、中産階級の坊ちゃんだ。俺の方が酷かった。暴力と酒にまみれ、無一文だった。でも恐喝はしなかった。物を盗んだことはある。でも人から奪い取りはしなかった。
今の俺は労働者階級とは呼べないかもしれない。でもそれは、その後の人生に関わらず、そこにあり続けるものだ。心の中では、今でも労働者階級だ。
子供の頃はまともな職に就けなかった。俺の友達、その父親も全員無職だった。そういう時代だった。無職を称えるような80年代の風潮はどうかと思うけど、その中からブリットポップが生まれたのは間違いない。
もし当時から携帯があったら、今の俺はここにいないよ。保証できる。ひたすらYouTubeでビートルズを見て、ドラッグでハイになっていたはずだ。最近では生活保護を受けている人ですら、iPhone 6s、iPad、薄型テレビを持っている。おかしいだろ。俺たちの時代は、本当にやることが何もなかった。だから自分たちでやることを作った。
家にはカーペットすら無かった。女の子を連れて帰ると「カーペットもないの?」と言われたよ。でも初めてロンドンに行ったとき、誰も床にカーペットを敷いていなかった。カーペットが無いことが、あたかもステータスだった。母親に言ったよ。「ロンドンの奴らもカーペットを敷いていないよ。床板をピカピカに磨いているらしい」「本当に?カーペットの方が楽じゃない?」「分からないよ。ロンドンの奴らだ。頭がおかしいに違いない」
2. 「この音楽が聴かれないはずがない」
12~13歳の頃かな。学校をサボったり、たばこを吸ったり、シンナーをやって、よく部屋に閉じ込められた。典型的な悪ガキだよ。あるとき家の裏戸にギターを見つけて、俺は弦を一本だけ弾いた。全てはそこから広がった。その瞬間に全てが変わった、というわけではない。テニスラケットを持って、鏡の前でポーズを決めたこともなかった。自分がロックスターになるなんて、思いもしなかった。両親が気を許して、部屋から出してくれるまでの時間潰しでしかなかった。
今では不登校児童向けのテレビ番組があるけど、当時は誰も将来のことなんか考えていなかった。でも俺の心には秘密の部屋があって、そこには何かがあった。音楽だ。当時からライブを見に行くのが好きで、やがてインスパイラル・カーペッツと出会った。俺はローディーの仕事を与えられた。興奮で身震いしたよ。でもすぐにクビになった。俺がクソ野郎だったからか、ドラッグをやっていたからか…
オアシスが初めてライブをやったとき、俺は初めて立ってギターを弾いた。いつもベッドに座って弾いていた。ステージ上で何をすればいいのか、まるで分からなかった。だからただ突っ立っていた。そこからオアシスの静止主義(stillism)が生まれたのさ。
最初の数年間は、単なるお遊び程度に思っていた。でもある夜、俺は「Live
Forever」を書いた。素晴らしい曲だということはすぐに分かった。リハーサルで歌ったら、ボーンヘッドが「お前がこれを書いた?嘘つくなよ」と言ってきた。「ありえない。どこからパクってきた?」と喚いていた。でもギターソロに入る頃には、その場にいた全員が「マジかよ。これはすごい」という表情をしていた。
俺は声を掛けられるのを待っていた。リアムは「早くデモを送ろうぜ」と言っていた。でも俺は「ちょっと待て。こんな素晴らしい音楽が聴かれないはずがない。そんなことはありえない」と信じていた。
レコード契約を勝ち取った瞬間、「俺はロンドンに行く。人生を変えてやる。全てを味わい尽くす」と思った。心の準備はとうの昔にできていた。ボストンバッグを持って電車に乗り、二度と戻らなかった。27歳の頃だ。
3. 「スタジアムが崩れ落ちるぞ!」
1993年にユースカルチャーは終わった。アシッドハウスは舞台から去り、何か次のものを待ち受けていた。そこに俺たちが現れた。俺たちは与え、人々はYESと答えた。全てが始まった。
始まったばかりの頃は、まるで魔法のようだった。しかしそれは、金を得るまでの半年間しか続かない。観客と同じ服を着て、同じ境遇にいる間だけだ。観客の中には、俺たちより良い暮らしを送り、もっといい職に就いている奴もいる。だからこそリアルだ。まだロックスターになる前、スーパーモデルと付き合う前、ドラッグに手を染める前だ。俺はギターを持った一人の青年でしかなかった。
ファーストアルバムは真実の瞬間に満ちている。当時の俺たちは単なるガキの集まりだった。音楽を作るために真っ直ぐだった。1番と2番の歌詞だって同じだった。でもその頃、時代は俺たちのものだった。俺たちが自分自身をGOODと思っていたときは、周りから見ればGREATだった。自分たちがBADと思っていたときでも、周りはPRETTY GOODだと思っていたはずだ。
91年からネブワースまでが良い時代だった。その後は平坦になってしまった。これ以上どこに行けばいいのか分からなかった。あそこが頂点だった。ネブワースの後、俺たちは間違いを犯した。アメリカで6週間のツアーなんてやらずに、そのまましばらく消え去ればよかった。
音楽界には階級制がある。レディオヘッドが悪いレビューを受けたことはない。仮にトム・ヨークが電球の中にクソして、それを空のビール瓶みたいに振り回したとする。Mojoは奴に10点中9点を与えるよ。
俺はかつて、自分たちを第7位に置いていた。ビートルズ、ストーンズ、ピストルズ、ザ・フー、キンクス、誰が6位だろう?あとザ・スミスとスペシャルズもいる。とにかく、俺たちは7位だと思っていた。今なら何位に置くかな?トップ10には入れるよ。俺たちは多分、偉大な先人ほどは良くなかった。でもそれ以外の中ではベストだった。ストーン・ローゼスより巨大なことを成し遂げた。ザ・バーブよりも良かった。偉大な先人が上位4つを占めるなら、俺たちは6~10位かな。常に第5位を目指している。でもなかなか辿り着けない。
リリースしたばかりの頃、Morning Gloryは酷評された。でも大ヒットした。2人の編集者に「もう二度と騙されないぞ」と言われた。そして彼らはBe Here Nowを絶賛した。肥満体型のロックスターが作ったような駄作だった。彼らはまた騙された。もう絶対に俺を許してくれないよ。
オアシスのライブを見たことはない。でも俺たちより優れたライブバンドはなかなかいないよ。ウェンブリーで色んなバンドのライブを見たけど、スタジアム全体が揺れていたのは俺たち以外にはない。ステージから見ると、「崩れる。スタジアムが崩れ落ちるぞ!」って思うよ。
家の周りには毎晩、30~40人の子供たちが野宿していた。あまりの有様に、政府がボルトを俺の家に打ち付けて、ベンチを2脚設置した。ゴミ箱も持ってきた。近隣住民は怒り狂っていた。
俺たちはスーパーモデルとパーティー三昧だった。「タバコが無くなったぞ。誰が買いに行く?」「マスコミが外にいる。無理だよ」だから家の周りにいた子供に、「お使いを頼まれてくれ。ベンソン&ヘッジズを400箱買ってきてくれ」と頼んだ。
90年代は誰もが四六時中ハイになっていた。全ての時間を楽しんでいた。誰も後先なんて気にしなかった。
ドラッグにまつわる全てが最高だった。でもやがてパニックに見舞われるようになった。その度に死ぬような気がしたよ。だから止めた。98年以降はやっていないよ。1回だけやったかもしれない。泥酔していて、すぐにシャキッとしなきゃいけなかった。それ以降は触っていない。ドラッグは厄介なものだ。
30代で中年の危機(midlife
crisis)に直面した。ファーコートを着て、大量のコカインをやっていた。「俺はロックスターだ。ファーコートを持ってこい」「でもあれはウサギで出来ているよ」「関係ない。さっさと持ってこい」
今でもタバコは吸うし、酒も飲む。ちょっと量は多過ぎるけど、それ以外には何もやっていない。今でもパーティーに行くと、夜が一変する瞬間が分かる。誰かがペアでトイレに行ったりする。そうなるともう楽しくない。
リアムは19歳のときに、The Wordというテレビ番組に出た。その1週間後に家を出て、パッツィー・ケンジットと一緒に住み始めた。
リアムに対する俺の意見を言うよ。奴は反論するだろう。奴は偉大なロックスターと肩を並べるほどの存在だった。だけど当時、奴は曲を書かなかった。詩も書かなかった。熱狂的なマニアに囲まれながら、自分の功績はイケてる服を着ていることだけだと理解していた。自分が曲を書いていないアルバムについてインタビューされるとき、奴は自分が歌手でしかないと思い知らされるのさ。
リアムは偉大な歌手で、偉大なバンドの偉大なフロントマンだった。奴がベストの状態だったときは、誰も到底及ばなかった。ネブワースの後、「もう成し遂げてしまった。長くは続かなかった」と思ったに違いない。
名声というものは、人によっては重荷だ。俺は違う。満喫しているよ。有名になるため必死だったわけじゃない。でも俺が有名という理由でヨットを貸してくれる人がいたら、ありがたく受け入れる。
俺の成功は、俺自身の功績だ。プロデューサー、A&R、PV監督のおかげじゃない。俺が曲を書いて、歌詞を書いて、フレーズを考えて、インタビューを受けた。俺が全てやった。
不平不満だらけのロックスターは好きじゃない。でも中身が無いポップスターも嫌いだ。自分のセルフィーがインスタで470億イイねを貰って喜んでいるくらいなら、どこかへ行ってドラッグを覚えた方がいいよ。
オアシスのメンバーは誰一人、名声を無駄にしなかった。少なくとも俺とリアムはそうだ。金、悪名、その他もろもろ、俺たちは一切無駄にしなかった。
4. 「サビから書き始めて、遡っていく」
Champagne Supernovaという曲の意味を聞かれたことがある。俺にとってはどうでもいいけど、「曲を書いたときには、何かが頭にあったわけでしょう?」と言われた。それから2時間後、スコットランドのステージで、その曲を演奏した。ふと前を見ると、15歳の少年が上半身を脱いで、わんわん泣きながら歌っていた。これこそがこの曲の意味だ、そう確信したよ。サビが重要だ。歌詞なんて気にしない。サビから書き始めて、遡っていく。言葉なんて適当に埋めておけばいい。意味なんて無くていい。
Don’t Look Back in Angerを書いたのは、雨が降るパリの夜だった。ストリップクラブで演奏した後のことだ。俺たちの出番が終わって、ストリッパーが再びステージに上がってきた。俺たちは何者でもない、その辺のバンドに過ぎなかった。ホテルに戻って曲を書いた。その後20年間、人々の葬式や結婚式でこの曲が使われるとそのとき知っていたら、とても書き上げられなかっただろう。プレッシャーが重過ぎる。俺より技術が優れたソングライターはいくらでもいる。でも世界中の人々に浸透する曲はなかなか無い。人々はいつレディオヘッドを聴くのだろう。外出中?家の中で?俺には分からない。
トム・ヨークにMony Monyと同じくらい良い曲が書けるだろうか。俺と奥さんは2年前のコーチェラでレディオヘッドを見た。人の波をかきわけて進んでいると、彼らはポストテクノみたいな音楽をやり始めた。なかなか良いと思った。でもトム・ヨークが歌い始めた瞬間、身体が拒絶反応を示した。俺たちみたいなパーティー好きな人間には、やはり向かないようだ。
Don’t Look Back In Angerほど人々と繋がった曲はもう書けないかもしれない。それでも俺は、水を求めて毎朝井戸に行く。まだ誰にも書かれていない、最高の曲がこの世のどこかにあるはずだ。今書いているこの曲をGOODからGREATに変えてくれる一行の歌詞が、どこかにあるはずだ。そう思っている。きっと作家なら誰でもそうだよ。自分のベストな作品は、まだこの先にあると思うはずだ。たとえ頭のどこかでは、そうじゃないと知っていてもね。
5. 「オアシスには歴代11人のドラマーが在籍していた」
オアシスは巨大な存在だった。数え切れないほど最高の瞬間があり、当然最悪の瞬間もあった。
最後の半年間は苦痛だった。ワールドツアーが始まる3週間前、俺とリアムは殴り合いの喧嘩をした。以前なら修復できたけど、そのときはできなかった。俺は許すことができなかった。
まだオアシスでの野望があったら、バンドを離れることはなかったかもしれない。でもあの日、俺の決断は早かった。もうやり切った。あとは今までやってきたことの繰り返しだ。より大きなツアーをやって、もっと多くの金を稼いで、また別のドラマーを雇う。オアシスには歴代11人のドラマーが在籍していた。世界中の会場をソールドアウトにした。ハリウッド・ボウル、マディソン・スクエア・ガーデン、ウェンブリー・スタジアム、マンチェスター・スタジアム、ハンプデン・パーク。他に思いつく場所を挙げてごらん。俺たちはそこもソールドアウトさせたよ。間違いなく。
最後のツアーでは、俺は他のメンバーと別移動だった。履いている靴が気に入らないことを理由に、リアムはツアーマネージャーをクビにした。そして自分のファッションブランドを始めた。ステージ上で「次の曲を俺の服に捧げる」とか言い始めた。奴のホームページで販売しているパーカーを着て歌っていた。俺にとっては、全てがどこか違っていた。とはいえ残り2公演を乗り切ったら、話は変わっていたかもしれない。また半年間オフをとって、全て水に流すこともできたかもしれない。だけど最後の最後にあの大喧嘩があった。理由は些細なことだった。リアムはV Festivalをドタキャンして、俺たちはマスコミから叩かれまくっていた。そして奴は俺が何らかの黒幕だと思い込んでいた。全てを俺のせいにしていた。それがだんだんエスカレートして、ある日全てが弾け飛んだ。あの夜、俺は「もう十分だ。あとはどうでもいい。俺はもう抜ける」って思った。
バンドを抜けてから5週間しか経っていない頃、再結成について聞かれたことがある。現代の病だ。仮にオアシスが再結成しても、以前ほどの大きなバンドにはなれない。今更ウェンブリーを3日間ソールドアウトしても何にもならない。かつては7日間ソールドアウトさせていた。ローゼスが再結成したとき、彼らは当時より巨大な存在になっていた。それならやる意味があると思う。
もし俺が「よし、やってやろうじゃないか」と思ったとしても、リアムは「いや、俺は嫌だよ」と言うだろう。保証するよ。俺について言えば、先5年間のスケジュールは既にビッチリだ。だからその間は絶対にない。その先のことは誰にも分からない。でも現状、そんな話はこれっぽっちも無い。全く持って無い。
6. 「朝食にアイスクリーム、ランチにスイーツ」
俺の奥さんは今朝6時半に帰宅した!昨晩から友達と遊びに出かけていた。朝、長男に頭をトントン叩かれて、時計を見たら6時半だった。「ママが今帰ってきた」って言うのさ。俺は彼女に「もう君の宣伝はしない。見返りが何もない」と言ったよ。
全く持ってロックンロールらしくないけど、俺が誰よりも一緒に遊びたいと思うのは奥さんだ。休暇を共に過ごし、ディナーに出かけて、12時間のランチ、パーティーへも一緒に行く。彼女はただ、何ていうか、俺にとって全てだ。最高の女の子だよ。
俺は女性を愛している。子供の頃は、母親や叔母さんに囲まれていた。女と遊んだ方が楽しいよ。男なら誰でもそう思うはずだ。6人の女性か6人の野郎、どちらかと夜通し遊べるとする。俺は絶対に女を選ぶよ。ボーイズナイトには興味がない。
90年代にサラと出会わなくてよかった。俺の周りで起こっていたことに、彼女は対応できなかっただろう。混沌とドラッグに支配されていた時代だ。俺たちは絶好のタイミングで出会った。俺は既にドラッグを卒業して、当時の結婚は終わりを迎えていた。そこに彼女が現れた。あろうことかイビザ島でね。あそこではワンナイトラブをやるべきで、彼女をつくったりする場所じゃない。ましてや後に2人の子供を設けることになる、将来の奥さんと出会うなんてね。
全てのソングライターはロマンティックだ。俺はそのロマンティシズムを曲作りに使う。花束を抱えて歩くようなことはしない。仮にそんなことがあっても、俺はハッとして、次の瞬間どこかの店に飛び込む。そして花束をスターバー(お菓子)と交換してもらうよ。
俺は奥さんについて良いことを言いまくっている。でも俺は前回、誕生日プレゼントすらもらえなかった。なんてこった!「でもあなたは何でも持っているじゃない!あと何個エフェクターが必要なのよ!」もう一つ!もう一つ買ってくれよ!もう一つ!
彼女は悪い警官、俺は良い警官だ。彼女はルールに厳格だけど、俺は子供たちを叱ったりしない。朝食にアイスクリームがほしいなら、黙って食べさせる。ランチはスイーツがいいなら、それも食べさせる。それを見ながら俺は、ずっとテレビの前に座っている。普段家にいないくせに、帰ってきた途端ルールを押し付けても、ウザいと思われるだけだ。だから家に俺しかいないとき、子供たちはラッキーなのさ。
最初の結婚で生まれた娘は今、テレビ業界で働いている。夢中になっているよ。俺も音楽と出会えて幸運だった。息子たちにも何かを見つけてほしいね。そしたら俺は全力でサポートする。必要以上に干渉したくはないけどね。
本当に何かを成し遂げているロックスターの子供は、ごく少数かもしれない。俺の子供たちはどうなるかな。
7. 「俺のボトルは巨大なつま先の形になるよ」
今日、誰もが名声を無駄にしている。カニエを除いてね。MTVアワードで見たとき、「いいね、お前は大丈夫だ」って思ったよ。
現代のポップスターが何をしているか、誰も気にかけていない。ワン・ダイレクション?30歳を迎える前に、全員がリハビリセンター送りだ。エリー・ゴールディング?アデル?皆が名声を無駄にしている。イヤーモニターと電子タバコなんか使いやがって。そしてクリスマス前に、彼らの名前が入った香水が発売されるのさ。
俺の香水?あぁ、もうすぐ発売だよ。トー・ラグという名前さ。ボトルは巨大なつま先の形になる。
ロックンロールを体現する人間なんて、もはやいない。人々がその単語を聞いて思い浮かべるのは、トップマンに陳列されているストーンズの72年ツアーTシャツだ。
新生代のロックスターたち。アレックス・ターナー、マイルズ・ケーン、そしてロイヤル・ブラッドの連中。判を押したように全員がスキニージーンズ、ブーツ、そしてアイライナーだ。俺が飼っている猫の方が、よっぽどロックンロールだよ。ハトを見つけたら、頭をもぎ取ろうとする。
彼らも名声を無駄にしている。彼らの発言に一度でも笑ったことがあるか?何か記憶に残る名言があるか?「彼らの音楽は面白い(interesting)」と人々は言う。面白い!その言葉が今の音楽界を支配している。「新しいスキレックスのアルバムを聴いたか?面白いよ」俺は面白いものなんて聞きたくない!ロックンロールは「面白い」ものじゃない。ロックンロールとは、完璧に頭のいかれた馬鹿野郎のことだ。俺が求めているのは、未だにドラッグを続けている誰かだ。しかしピート・ドハティは除く。
レコード会社は明日の朝にでも、エド・シーランの新曲を10億ダウンロードさせることができる。イアン・ブラウンみたいなのは、事務所に入れたくないのさ。あるいはリアム、ボビー・ギレスピー、リチャード・アシュクロフト、そして俺。連中はプロフェッショナルを求めているようだ。
ストーン・ローゼスの口から「キャリア(career)」という単語が出たことはないはずだ。プライマル・スクリーム、ザ・バーブもそうだ。当然オアシスもそうだ。でもマネージャーやエージェントはその単語を多用する。俺たちがアワードで賞をかっさらって、演奏しなかったことがある。アワードのトップが俺たちに言ったよ。「君たちのキャリアに傷がつくぞ」だから俺も言った。「今俺がどれだけハイになっていると思う?俺のキャリアに傷をつけるのは誰だ?俺だ。お前じゃない。以上」
貧しい少年たちが成功を収める昔話。エルビスに始まり、ビートルズ、ピストルズ、ザ・スミス、ローゼスに通じるストーリーだ。俺たちがそれを引き継ぐ最後の存在になると、当時思っていた。そして俺の勘は当たった。自分が正しかったと証明されるのは好きだけど、これに関しては寂しいよ。
ロックンロールとは、自由と誠実さだ。思考の自由、表現の自由。誠実でなくちゃいけない。
90年代の連中が未だに最前線にいるのは偶然じゃない。俺はこの夏、世界中のフェスに出演した。その全てで、90年代の誰かがトリを務めていた。ケイト・モスが時代を超越したのもそういうことさ。彼女の代わりなんていないよ。
8.「精神だけはダウンロードできない」
俺はライブ中に2時間全く喋らないこともある。それが嫌なら、もう次回は来なくていいよ。
ライブは決してなくならない。あの空間はダウンロードできない。精神だけはダウンロードできない。だからギターを弾いて、曲を書いて、ひたすら練習する。
お金はドラッグと似ている。ドラッグは精神状態を増幅させる。落ち込んでいたら、より落ち込む。何かを心配していたら、更に心配することになる。パラノイアに陥っていたら、ますます酷いことになる。お金も同じだ。幸い俺は、今挙げたどれでもない。俺は今という時を生きている。良心なんてものは持ち合わせていない。自分自身と家族を大切にするだけだ。だから俺にとって、お金は素晴らしい。しかも俺が働いて稼いだ金だ。宝くじで当てたわけじゃない。あの曲たちを書いていなかったら、今の俺はいない。だから俺は全力で楽しむ。
クリス・マーティンは俺の友達だ。あいつは良い曲を書く。そしてひょうきん者でもある。お互いの奥さんを連れて、4人で食事に行ったよ。最終的にあいつはテーブルに頭を打ちつけながら、「ノエル、全く君って奴は!」と叫んでいた。クリスは色々なことを気にして生きている。全てのことを気にしている。俺は確かマドンナの悪口を言っていた。あいつは「分からない。どうして君はそんな風に生きていられるのか」と言った。だから「俺も分からない。どうしてお前はそんな風に生きていられるのか」と言い返した。
俺が今までに残した酷い発言の数々。俺はその結果を全て受け止めてきた。「あの発言は、前後の文脈が切り取られている!」なんて嘆いたことはない。そんなことするのは女々しい奴だけだ。
俺は神を信じない。この世の全てを見ていて、宇宙を導いている存在なんて絶対にいない。本当にいるなら、テロ組織なんてあるはずがない。
俺が書いた曲の中に、人々は何かを見出している。さっきも言ったように、かつて自宅の周りには、泣いている子供たちが沢山いた。今でもたまにいるよ。それはきっと彼らが、自分の中に求めているものを、俺の曲に見出したからだろう。
ポール・ウェラーは全ての人をけなす。そしてボノは物事の本質を突く。「お前の作品が良ければ、お前自身が良い人である必要はない」その通りだと思う。良い曲さえ書けていれば、俺は他の誰になる必要も無い。重要なのは曲であり、俺自身ではない。俺は好き勝手やっていられる。
君自身が素晴らしい人間だから、君がやることも全て自動的に素晴らしくなる。それは間違いだ。俺はそれをかなり早い段階で学んだよ。
俺はもう曲を追いかけたりしない。かつては四六時中曲を書いていた。ウェラーはかつて、「追いかけるな」と俺に言った。「追いかけてはいけない。もし曲がやって来るときは、向こうから勝手にやって来る。やって来ない曲を無理矢理に書いたとして、それでお前は幸せか?」俺がもう新しい曲を書けなくなったとしても、今まで残した曲がある。それらは何かをもたらした。世界を変えることはなかったけど、人々に変化をもたらした。彼らは俺の曲を愛してくれている。それだけで俺は幸せだよ。
引退なんかしない。何をすればいいのか。ある意味では悲しいよ。音楽、サッカー、家族。それが俺の全てさ。
ここまで生きてきて、3つのことを誇りに思っている。4つかな。この年齢で、白髪を染めていないこと。イヤリングをしていないこと。タトゥーをいれていないこと。そしてバイクに乗っていないことだ。
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