2015年1月22日木曜日

Morrissey Interview / The Hollywood Reporter (2013.02.27)



米エンタメサイト「The Hollywood Reporter」に掲載されたモリッシーのインタビューです。この手のメディアとしては、なかなか内容の濃いインタビューになっています。
原本URLhttp://www.hollywoodreporter.com/news/morrissey-smiths-reunion-label-woes-424971 
出版日:2013年2月27日

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the Smiths再結成、レーベルを巡るいざこざ、そしてPaul McCartneyが「爵位を返上するべき」理由について、モリッシーが語る(Q&A)。

混沌と心の葛藤はこの一ヶ月間、モリッシーの世界を悩ませている。バレット食道、出血を伴う潰瘍、そして脳震盪という最悪の組み合わせにより、彼はアメリカツアーの延期を余儀なくされた。そしてDuck Dynasty(米テレビ局A&Eの人気番組)の出演陣と一緒にJimmy Kimmel Liveへ出演するオファーに気分を害され、彼は数少ないテレビ出演をキャンセルしてしまった。

しかしモリッシーは決して消えない明かりである(「a light that never goes out」)。32日にロサンジェルスのHollywood High Schoolで開催されるコンサートは、今週火曜日に僅か12秒で完売。この53歳のアイコンは金曜日にツアーへ復帰し、LAStaples Centerで満員の観客に向けて演奏する。モリッシーとの契約により、この20,000席の会場はその夜、食肉製品を一切販売しない。(Paul McCartneyも同様のリクエストを出したが、会場から断られている。)

典型的な皮肉たっぷりの口ぶりで、この雄弁な英国紳士は、動物の権利を守る活動、思い通りにならないレーベル捜索、そしてthe Smithsが再結成しない理由ついて、本誌の質問に答えた。

The Hollywood Reporter(以下THR):ステープルズはなぜ、あなたのリクエストには応えて、Paul McCartneyには断ったのでしょうか?

Morrissey(以下M):ステープルズが自分にはノーと言ったのに、僕にはイエスと言ったのを知って、ポール・マッカートロード卿が激怒したと聞いた。愉快だったよ。でも本来なら、動物たちが得たいかなる勝利にも、僕らは喜ぶべきだよ。彼がPETAのために休むことなく働いているのは知っている。でも彼は同時に、動物を残虐に扱う英国王室も愛している。女王が着ている毛皮の量で、ロシア全土がほぼ覆い尽くされてしまう。彼はかつて「アイルランドに平和を」を女王に向けて歌って、彼女から拒否された。そして今でも拒否されているのに、ポール卿は彼女にグーサインを出している!もし情熱をもって動物を大切にするなら、彼は爵位を返上するはずだよ。女王から認めてもらう必要なんてないだろう。彼女の想像の範囲を超えて、彼は世界中の人々に多大なる喜びを提供しているよ。

THR:菜食主義者としてのあなたは、音楽家としてのあなたと同じくらい有名です。これはキャリア開始当初から望んでいたことですか?

M:いや、でも世界はこの30年間で激変したよ。今では僕のような人間はもっと多いし、みんな動物虐待に死ぬほど嫌気がさしている。動物を食べている人たちですら、間違っていると公然に認めているよ。

THR:動物が食肉処理される場面をとらえた、PETAMeet Your Meatという映像をバックに、あなたはMeat Is Murderを演奏します。そのショッキングな映像に、コンサートを途中退場する人もいます。なぜあの映像を見せるのですか?そして観客はそこから、何を学んでいて欲しいと思いますか?

M:あの映像に出ている動物たちも、決してその場にいたかったわけではない。そして彼らも撮影されている最中に、その場を立ち去りたかった。それを忘れてはいけないよ。食肉を支援するために、吐き気がするようなプロパガンダが、数多く展開されている。こちらも思う存分やらなければ、もはや反撃できない。紳士的な笑顔を保ち、相手が高潔で議論を受け入れてくれると思い込んでいても、仕方がないよ。食肉処理場に足を踏み入れれば、事の重大さが理解できる。

THR:あなたはまさにこれからアメリカツアーを再開しますね。Brooklyn Academy of Musicでの公演が、歴代ベストの1つだったらしいですが、素晴らしいコンサートを作り上げる要素はなんですか?

M:会場の全体的な構造は重要だけど、その夜を作り上げるのは観客だ。この凝り固まった社会の日常では許されないけど、コンサートでは、人々は本当の姿をさらけ出す。観客からの愛情と激情を目の当たりにするのは、素晴らしいよ。その夜の成功は、僕の努力だけにかかっているわけじゃない。僕を見るために人々がやってくると思われているけど、実際は僕が観客を見るためにやってくるのさ。僕は列に並ぶ必要はないし、会場の警備員から取り囲まれることもないけどね。

THR:あなたの最後のアルバム、Years of Refusal4年前にリリースされました。レーベルと契約するまでは、次回作のリリースを控えている状況ですか?

M:そう。僕にはDIYの本能はないし、メジャーレーベルからの作品じゃない限り、音楽界は僕を完璧に無視するからね。

THR:あなたはかつて、メジャーレーベルを経営する人たちから、「スーパースター」とは見られていないと言っていましたね。しかしあなたは、ここアメリカや世界中のアリーナを完売にできる力を持っています。そんな力を持っているあなたに、レーベルからミーティングの誘いやオファーはありましたか?

M:ソニーからのみすぼらしいオファーはあったけど、他には何もないよ。知恵ある人を探す旅は続いている。ヘルプ!

THR:多くの若いアーティストは、メジャーレーベルという考え方を、古風と捉えています。例えばレディオヘッドのような名高いアーティストたちも、新しい音楽提供の方法を検討しています。伝統的なレコード会社と契約することは、あなたにとってなぜ重要なのでしょうか?

M:彼らはまだ存在しているし、組織の力を持っていて、その力を使いたいときに使えるのさ。グラミーを見てみなよ。受賞者のほとんどは、世間での人気とは無縁だろう。

THR:映画化もされているThe Perks of Being a Wallflowerという本の中で、孤独な十代の主人公はthe Smithsをお気に入りのバンドに挙げています。作家のStephen Chboskは最近、あなたと出会った感動をツイートしていました。四半世紀も前にスミスが作った音楽は、どうして今なお魅力的なのでしょうか?

M:多くの人たちは、the Smithsに対してホームシックになっている。それは他の音楽が酷いからではなく、スミスの曲が良いからだ。ほとんどのバンドは、まともな曲が2つあれば、五つ星のレビューがもらえる。簡単なものさ。でもスミスはプロモーションされたことはないし、ラジオで流れたこともほとんどない。でもこの神秘さこそが、バンドをずっと守っているのさ。ただし再結成は絶対にない。バンド結成当時と同じ精神が残っていれば、再結成は成立する。でも僕らはそうじゃない。

THR:自伝の状況を教えてください。出版社や出版日、その他何でも、新たな情報はありますか?また、執筆活動は痛みを伴う作業ですか、それとも心が癒される作業でしょうか?

M:今までの人生で僕は、「現在」に属していると思ったことはない。漂っている幽霊のようなものさ。肉体ではないの。自伝を書くのは、自分への忠誠であり、心が癒される作業だ。たとえ原稿用紙がナルシズムではなく、自己嫌悪で埋まっているとしてもね。もし近いうちに出版されなければ、こんな本燃やしてしまうよ。

THRHollywood High Schoolのコンサートが予定されていますね。Carole LombardJudy Garland、そしてMickey Rooneyが卒業生だとご存知の上で、この会場を選んだのでしょうか?

M:いや、あまり関係ないよ。The Cat and Fiddleへ行くのに便利なだけさ。

THR:最近ハリウッドでKirk Douglasを見かけたとき、大きな畏敬の念で、話しかけられなかったそうですね。あなたに同様の効果をもたらす人物は、他にいますか?

M:僕が思うにカークは、現存する最後の偉人だ。彼の存在を前にして、僕は底なしに深い畏敬の念にかられた。こういう人々は、大統領よりもずっと重要だ。James DeanElvis PresleyMarilyn Monroe。彼らと同じくらい有名で、愛されている大統領がいるかい?大統領なんてそんなものさ。僕の会いたい人リストは完成したよ。素晴らしい俳優のほとんどは、もうこの世にいないしね。カーク・ダグラスは、死をも乗り切ったと言えるよ。

THR:本誌読者へ何か他にメッセージはありますか?

M:出産に伴う痛み、そして全ての男性が、男ではないということかな。でもこれは別の機会に話そう。

Tom Brennanのレポートによる
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訳:つながり眉毛

Morrissey Interview / Louder Than War (2015.01.12)



音楽サイト「Louder Than War」に掲載された、モリッシーの最新インタビューです。アルバムやツアーの宣伝ではなく、大好きなNew York Dollsやその他一般的にグラムロックと呼ばれる音楽について、ひたすら語っています。このサイトは英ミュージシャンJohn Robbが立ち上げたもので、パンク、メタル、オルタナ色が強いです。




出版日:2015112
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インタビュー!グラムロックとNew York Dollsをモリッシーが語る

グラムロックは、後世への布石となった、重要な音楽シーンの一つである。ある時代の人々は特に強い影響を受け、その一人がモリッシーである。New York Dollsとグラムロックは、彼を大いに感化した。ドールズを筆頭に、ジャンル全般への深い愛情について語った。

Nina Antonia(以下N):New York Dollsはどのように、あなたを刺激したのですか?

モリッシー(以下M):僕には、刺激を受ける準備があった。Record Mirror誌の「魅力的な少年たち現る」という小さな記事を読み、生き生きとしていて機知に富んでいると思った。そして初期の写真では、ドールズは男子学生サディストさながらで、これも面白かった。これこそが、僕のバンドだと思った。当時のDavid Johansenの発言は狂っていて、Johnny Thundersはまるで芸術作品だった。そしてもちろん、New York Dollsという響きは、とても重要な名前に聞こえた。

N:あなたの物の見方は、彼らによってどのように変わりましたか?そして彼らはどのように、あなたにとって神の呼び声となったのですか?

M:彼らの外見、そしてサウンドは最高だった。歌詞はまるで、機関銃のような言葉で満ちていた。そしてサンダースの吐き気がするようなギターは、完璧にユニークだった。まさにやられたよ、今でもね。最初に見たとき、聞いた時から、ずっと恋に落ちているのさ。

N:彼らを発見したのは何歳でしたか?

M1972年に僕は12歳だったけど、11月のコンサートへ行く頃には、13歳だった。あの不運なマンチェスター公演さ。僕は一人きりで、ステージに体を押し付け、待ち構えていた。僕はまだ若かったけど、既にボウイやLou Reedを見ていた。でもドールズは、相応しい神の呼び声に思えたし、僕にはステージに上がり込む覚悟があった。カルトのようなものに、引き寄せられる感覚だった。

N:ビリーの死でライブが中止になったときは、ショックだったでしょうね。

M:会場の誰もがそんな感じで、僕はそれに驚いた。とても大きな、疑念の溜息が漏れていたよ。でもドールズはそのときからマスコミの注目を浴びていたし、大量の写真が出回っていた。彼らは同時に、音楽業界の全員が何かしらコメントしたくなるグループだった。もちろん称賛を得ることは稀だった。でもそれによって、彼らは更に目立っていた。

N:彼らへの想いを、どのように深めていったのですか?

M:メジャーな音楽誌が四つあり、ときには五つになったけど、ドールズはマスコミから大きく取り上げられていた。すぐにMelody MakerDisc、そしてSoundsの表紙を飾った。でもNMEだけは相手にしなかった。ドールズに少しでも注目を集めるため、僕は雑誌、ラジオ局、あらゆるものに手紙を書いた。これらマスコミに、彼らへの関心を持たせようとしたのさ。たいていは上手く行ったよ。Roy WoodWizzardが好きな友達がいて、どちらの手紙がより多く掲載されるか競争したよ。彼はWizzardについて書いて、僕はドールズについて書いた。彼はとてもよくやったけど、当然僕が独占した。ドールズ3枚目のアルバムで、Roy Woodがプロデューサー候補に挙がっていたと知ったら、彼はショックを受けただろうね。僕がマスコミに書いた手紙は当然、他愛のないものだった。でも僕は1215歳で、何かを渇望していた。今でも覚えているけど、美術の授業で僕は、ファーストアルバムの写真を中央に配置して、巨大なドールズのモンタージュを作った。他のみんなは、風景とか海の絵を描いていた。先生が僕のモンタージュに目を落としたとき、彼女は眼鏡を外してひっくり返り、嫌悪にまみれた息詰まる叫び声を上げた。彼女は僕の作品をクラス中の男子に渡して、机を激しく叩き、この社会的な病気を避けるように注意した。ワクワクしたよ。

N:ドールズに会ったことはありますか?

M:「元」ドールズとしてね。最初にサンダースとノランに会ったよ。彼らが1976年にSex Pistolsと一緒にマンチェスターへ来たときだね。CollyhurstElectric Circusでのサウンドチェックに潜り込んだよ。アーサーとシルヴェインにはロサンジルスで1991年、Santa Monica Civicでのコンサートに来てくれたときに会った。デイヴィッドとは1996年にランチしたよ。

N:彼らのファーストアルバムをどのくらい敬愛していましたか?

M:まるで雷に打たれたようだった。そして未だに治っていない。当時は誰もが優しく歌い、どこか女々しい感じになろうとしていた。でもDavid Johansenは怒りに満ちた叫び声で、早口にわめき立てていた。信じがたいほどのプライドに身を包み、常に荒々しく、周りのことなど気にかけなかった。ヨハンセンは素晴らしい名文家であり、作詞家だった。一般的にドールズを語る際には、全く触れられないけどね。「Frankenstein」という曲を聴いてみるといい。音韻は不自然で、急激に上昇する歌声は暴走しているようだ。とても映画的、知的でありながら、聴き手を脅しているようでもあった。ドールズは有害でヘビーだったけど、ロックミュージックではない素晴らしいポップソングを作っていた。そしてJohnny Thundersのギターは、マシンガンのようだった。Jerry Nolanほどルックスが優れている人が、あれ程までに上手く演奏できることが嬉しかった。一般的に見て、ドラマーは格好いいとか、面白いとは思われていなかったからね。

N:ジャケットについてはどう思いましたか?

M:とても野性的で、明確なビジョンを持っていた。それは大勢の人々の血管にショックを送り込んだ。彼らの哀れな外見に、僕はホッとしたよ。血色の悪い頬、モジャモジャの髪、サンダースの暴力的な目。ポップ音楽史に残る画期的な出来事だよ。Jerry Nolanの脚の配置それ自体が、芸術的エリート主義だった。この写真が全てを物語っている。ドールズは由緒正しき一派であり、地球上の他全員は引っ込んでいればいい。ジャケット裏側の写真も同じくらい、多くを伝えてくれる。ヨハンセンの口は決して閉まらず、サンダースはお茶目で、Arthur Kaneはよろよろしている。Sylvain Sylvainは可愛らしい子役スターそのものだ。Jerry Nolanは素晴らしいルックスだったけど、出過ぎた真似をした者全員を、容赦なく叩きのめすようにも見えた。僕にとっては、完璧そのものだった。David Johansenがハイヒールを履いている立ち姿ですら、純粋で、ポップで、独創的だった。これは前代未聞で、まさにポップ音楽が探し求めていたものだった。

N:グラムという呼び名は、ドールズにとって相応しくないですか?

M:そうだね。イギリスでは、グラムはAlvin StardustSuzi Quatroを指している。ドールズがそこに入るはずがないよ。この用語は、英国で19723年に存在していた子供向け音楽を指していると思う。ああいう音楽では、人々は効果的に着飾っていたよ。ドールズは知的で暴力的な一方、真剣なトーンとリズムを持っていた。そしてアイデンティティに関わる問題とは、全く無縁だった。彼らはリアルで、ポップ界の住人と仲良くやることには興味が無かった。大衆はリアリティを受け入れられない。そしてドールズは、グラムと呼ぶにはあまりに深過ぎる地下界で生きている。ドールズはとてもタフだった。David BowieRoxy Music、そしてMott the Hoopleといった素晴らしいアーティストが苦労して得たものを、彼らは全て経験してきたようだ。

NJobriathについてはどう思いましたか?

MMercury(ドールズのレコード会社)が英国で行った、ドールズのファーストアルバムとシングルの宣伝は素晴らしかったよ。一ヶ月間、4つの週刊誌で1ページ丸ごと使った巨大な広告を出していた。Elektra(Jobriathのレコード会社)も同様に良い仕事をした。ラジオで「Street Corner Love」を聴いて、とても気に入ったよ。でもJobriathは英国でコンサートをしなかったし、マスコミの取材も無かった。彼が一体どんな人物なのか、まるで分からなかった。でも彼の曲は素晴らしかったし、才能に恵まれていて、グラムロックやドラッグロックなんかとは無関係だった。ドールズは無類の存在で、Jobriathは彼らほど人気ではなかった。でもマスコミと話さないことによって、彼は自らを高めていったと思う。まあ彼が取材に応じたとしても、マスコミは関心を持たなかったかもしれないけどね!

NJobriathCDLonely Planet Boy」は、あなたの編集版ですよね。選曲すること、そして長らく無視されていた彼の音楽を、再び世に放つことは喜びでしたか?

M:そうだね。約22,000枚売れて、シングル「I Love A Good Fight」はUKチャートで101位に入った。もちろん101位はすごいことではないけど、Jobriath2004年に出したシングルとしては、悪くはないよね。当然ラジオで流れることもなかった。Janice Longで一回、そしてJonathan Rossで一回かかっただけだね。

N:(英バンド)Sparksで最も重要なレコードは何ですか?

M:最初の5枚は素晴らしいよ。でも3枚目の「Kimono My House」がベストだね。

NSparksはグラムでしたか?

M:いや、全くもってグラムじゃないよ。誰がそんなこと言ったんだ?

N2004年、Royal Albert Hallでの再結成ライブの際、ドールズのステージには花が置かれていました。あなたのアイデアですか?

M:いや、Davidのアイデアだよ。理由は誰も分からないけどね。

N:あなたにとってはとても感動的だったでしょうね。

M:彼らをバルコニーから見ていて、しびれるような思いだった。彼らは結束していて、デイヴィッドは全てを完璧にまとめあげた。これを目撃できる喜びと、Johnny ThundersJerry Nolan(ヘロインのおかげで)そこにいない悲しみが、あのドラマティックで思慮深い夜を作り出したんだ。人々は僕のおかげだと言ってくれるけど、僕は適切なタイミングで頷き、思い切ってデイヴィッドに電話した歯車の中の一つの歯でしかないんだ。歴史的な二晩は、デイヴィッド、シルヴェイン、アーサー、そしてサポートミュージシャンのおかげであり、ドールズのリハーサルをニューヨークで調整した(Meltdown Festivalのプロデューサー)Glen Maxのおかげだよ。ジョニーとジェリーがいたら、どんなに素晴らしかっただろうと、つい想像してしまう。でも、彼らがいないことを考慮しても、十分に良かった。そしてもちろん、あの二晩はアーサーが演奏した最後の機会になった。彼は数週間後に亡くなったらね。そしてその事実が、ドールズの信じがたい物語の中心に常にある、正気ではない象徴主義と、度が過ぎるロマン主義にまた新たなページを追加したのさ。
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訳:つながり眉毛