英Daily Mirror誌に掲載されたポールマッカートニーのインタビューです。72歳を迎えている彼の、元気の源、健康法を語っています。今年の来日公演も素晴らしかったですね。
出版日:2015年5月29日
以下、つながり眉毛の翻訳による。
70代にして健康を保つポールマッカートニーからのアドバイス。それは私たちが思いつくようなことではなかった。
バレリーナのような機敏さ。奥さんの保湿剤による、柔らかく赤ん坊のような肌質。ポールマッカートニー卿は、27歳のような72歳だ。
5人の子を持つ父親であり、8人の孫を持つ祖父。そしてその背中には、50年に及ぶ音楽の歴史がある。しかしこのロック音楽界の権威は、今も元気で健康だ。長年吸っていたマリファナを絶ち、毎日ジムに通う。
そして今、デニムに包まれた二本の脚が、私の前で不安定に揺れている。輝かしい帰郷コンサートを目前に控えたリバプールの楽屋。この惑星で最も有名な男は「僕の密かな自慢」という三角倒立を披露している。
これは間違いなく、私のキャリアで最も非現実的な瞬間である。1967年の彼と同じく、私は幻覚を見ているのかもしれない。
「僕はとても元気だよ。」上下逆さまで背中を向けたまま、彼は言った。「僕にコーチは必要ない。彼らがやっていることを観察して、コピーするのさ。
「クロストレーニング、ランニング、有酸素運動。そしてウェイトリフティング、スイスボールの上で腹筋、マットで少しストレッチ。最後に逆立ちだ。
「これこそ僕の大きな自慢だよ!60年代に学んだ。ヨガってやつだね。そして僕が言いたいのは、強さではなく柔軟性が大事だということだ。
「僕が行くジムには、ものすごいウェイトをやっている人たちがいる。僕がやるウェイトは大したことないけどね。だけど僕は5分間の逆立ちをやる。するとその巨大な男たちがやって来て、“すごいじゃん!”って褒めてくれるよ。
自分の論点を証明するかのように、あらゆる大股開きの体勢をとりながら、ポールは脚を振り回し始めた。「逆立ちを始めてから約3分後にこれを始める。」何でもないように足を再び地面に降ろし、彼は言った。日本をテーマにした彼の楽屋。ソファに座っている私のところに、彼が戻ってきた。
彼はドライフルーツとナッツを手ですくって食べている。私は途方に暮れてしまった。文字通り、開いた口が塞がらなかった。「僕は君を面食らわせただろう?」彼はニッコリ笑って言う。ポール、その通りだよ。
彼は断固たるベジタリアンであり、清廉潔白な生き方を推進する大使である。彼のスタッフは、ポールは「俺が今まで会った誰よりも元気だ」と言う。
ローリングストーンズ、U2、コールドプレイは一晩で平均25曲を演奏する。しかしこれからヨーロッパとアメリカに繰り出すOut Thereツアーでは、彼は3時間で38曲を演奏する。
今週木曜に行われたソールドアウトコンサートの最中、彼はまさに無敵の状態だった。かつては大量の大麻に溺れ、35年前には刑務所に連行された。しかしもはや、それは遠い過去だ。「僕はもうやらないよ。」彼は説明する。「なぜ?子供たちや孫たちに、悪い例を見せたくない。親心だね。
「当時の僕は、ロンドンで人生を謳歌する若者だった。子供たちもまだ小さかった。彼らの目に触れなければいいと思っていたよ。」
「今はもうマリファナではなく、赤ワインか良質なマルガリータを飲む。マリファナを最後に吸ったのは、もうずっと昔だ。」1964年8月、彼はボブディランから初めてマリファナを紹介された。ドラッグによって彼は「生まれて初めて、本当に深く物事を考えた」。彼の曲作りに大きな影響を与えた。
数年後、ポールと他のビートルズは全員LSDを試した。ブライアン・エプスタインの死に唖然とする中、「クスクス笑う教祖」マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーと接するようになった。彼とは不和に別れたものの、LSDを絶ち、曲作りへの意欲を得た。彼の僧院での滞在は、無意味ではなかった。
半ポンドのマリファナを持って日本へ入国した際、ポールは9日間投獄された。当時の妻リンダから1週間以上も離れた唯一の機会となった。
ファンが幾千もの反対運動を行い、弁護士が何度も足を運んだ結果、罰金もなく解放された。投獄されたことは疑いようもなく恥ずべき汚点となったが、ポールは鼻柱をへし折られる必要のない、数少ないスターの一人だ。名声、成功、そして(最新の計算では7億1千万ポンドにのぼる)富を手にしていながら、彼は見事に正気を保っている。何よりも、ナイスガイだ。
彼が「嫌な奴(この表現は自然に口をついて出てきた)に成り下がっていない」ことを私が祝福すると、彼は笑った。「それは素晴らしい推薦の言葉だね。履歴書に書かせてもらおうかな。」彼のツアースタッフ300人の大半が、30年以上も彼と働いているということも、何かを物語っているようだ。
ポールマッカートニー卿は、ナイスガイの一人だ。
自分がこのように生きていられるのは、家族、そして2011年に結婚した三人目の妻、ナンシーのおかげだと言う。自らの力で財産を築いたニューヨーク生まれのビジネスウーマンである彼女には、公共の目に晒されたいという欲求は皆無だ。「ナンシーはとても分別があって、僕の行動をしっかり見張っているよ。」と彼は言う。
「僕たちを取り巻くことになる全てに、彼女がどう反応するか疑問だった。
「“マッカートニー夫人”でいるだけで、雑誌などから素晴らしいオファーがやって来る。他の女の子ならすぐに飛びつくよ。
「でも彼女は断った。彼女はトラック運送会社のトップだ。“私には既に仕事がある”と言い放った。
「大量のパパラッチが待ち構えているイベントでは、彼女は少し引き下がって、僕を前に押し出すのさ。
「ナンシーは控えめな性格で、周りから気付かれることなく、通りを歩きたいようだ。彼女は聡明で、とてもしっかりしている。」
彼のさっぱりした顔つきも、ナンシーのおかげだ。彼はきまり悪そうに、彼女のクリームを借りて、保湿していることを打ち明けた。
「ナンシーは色々と持っているから、そうだね、僕も今では保湿しているよ。」彼は笑う。「僕は正直“チャラチャラしているなぁ”と思いながらやっている。でも世の中の男は皆やっていると彼女は断言するのさ。」
同じく世界的に有名な他のアーティストと違うのは、彼はボディーガードを置いて一人でサイクリングに出かけ、自分を見失っていないことだ。
彼はまた、リバプールの家族を「僕が今までに会ったどの大統領や首相よりも賢い」と言う。「僕は確かに人目に触れるけど、静かな田舎を少し歩くだけなら問題ない。バードウォッチャーには会うけど、彼らは僕のことなんか気にかけない。僕よりもハヤブサに興味があるみたいだ。
「僕は大家族の出身で、本物の、良識のある、一般的な家庭に育った。悪いことをして、そのまま逃れるなんてことは思いもしなかった。
「多くの人々は故郷に帰りたくないみたいだけど、僕にはとても価値のあることだ。良い家庭に育った幸運な人は、“嫌な奴にはならないぞ”って自然に学ぶはずさ。」
ツアーで訪れる国の観客に、彼らの言葉で話しかけるために、あらゆる言語のレッスンを受ける。グラミー賞を21回獲得するこの男は、今までに様々な友人を作ってきた。
同じくリバプール出身のシーラブラックと、ビートルズが現れる数年前の1950年代後半に多大な名声を勝ち得たクリフリチャード卿。過去に行った性犯罪について、クリフが調査を受けていることを、彼はどう思うのか。
「最後にクリフと会ったのは、僕らがナッシュビルにいたときだ。彼はそこでレコードを作っていて、僕のコンサートに来てくれた。
「本当に分からないよ。この一件がどこに向かっているのか、本当に分からない。大事なのは、それが真実なのかどうかだ。でも僕には分からないから、疑問が残る点を、彼に有利なように解釈してあげたい。
「彼はいつだってカッコ良くて、ナイスガイのように見えた。」
ポール卿はナイスガイについて、よく分かっているはずだ。結局のところ、彼は今でも逆立ちできるのだ。
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