2015年6月16日火曜日

Morrissey Interview / Alternative Nation (2015.06.10)



アメリカの音楽サイト、Alternative Nationに掲載されたモリッシーの最新インタビューです。「モリッシーをフォローすることは、RUSHをフォローするのとはまるで違う。」のくだりは最高でした。




出版日:2015610



以下、つながり眉毛による翻訳。



今更説明の必要もなく、モリッシーはこの30年間のロック界において、最も影響力のある人物の一人である。the Smithsのフロントマンとして残した、4枚の永久不滅のアルバム。10枚のソロアルバム。そして「Meat Is Murder」という情熱的で強い信条とビーガン主義に基づく、政治的・社会的活動。
伝説的な元スミスのフロントマンに敢行したインタビューを、ここにお届けする。私たちが今までに行った全ての取材の中で、最も重要なもののひとつであり、Alternative Nationの「Morrissey Week」を始めるに相応しい内容となった。まさに今アメリカツアーを開始しようとしているモリッシーは、様々なトピックに言及している。ソロキャリア、自身の主義主張、Hillary Clintonと大統領選、そしてthe KillersBrandon Flowersからストーキングされたことまで、全てを語った。

Q:あなたは11歳にしてベジタリアンになりました。それ以降、とても多くの人々に動物権利の問題を意識させ、ベジタリアン/ビーガン主義の、恐らく最も声高な支持者になりました。ベジタリアンになったばかりの頃、この問題について、今と同じような意識を持っていましたか?学校給食や家族団欒の席で、肉が振る舞われることは不満でしたか?
A:僕は給食をとっていなかったから、その毒を免れることができた。家族の集まりからも、とてもゆっくりと距離を置くようになった。皿に盛られた肉の欠片を見ていられなかった。僕にとっては、小さな子供が食べられているようなものだった。母親と姉もベジタリアンだったから、孤独は感じなかった。でも70年代には、このような意識を持っている人は皆無だった。だからいかなる社会的な集まりにも参加できなかった。死んだ豚の匂いには、とても耐えられなかった。
僕には32歳と24歳の甥がいるけど、彼らは動物の肉や魚を口にしたことはない。自分の子供に動物の死骸を与えるなんて、実に狂っているよ。肉に含まれるプロテイン云々も、僕らを洗脳するための作り話だ。チキンの90%は成長ホルモンだ。君たちが子供に与えているのは、鶏肉ではなく、成長ホルモンだ。なんてお洒落で、食欲をそそられる話だろうか!(皮肉)

Q15年前、マリファナ活動家は2020年までに達成する目標をリスト化しました。音楽とポピュラーカルチャーが、世界中で人々の考え方を変えていった結果、その多くは達成されたと言えます。2035年のことを考えましょう。動物権利の活動家は、今日と比べて、何を勝ち取っているでしょうか?
A:その頃までには、動物を食べることがタバコと同じくらい危険だと、人々が理解していることを願うよ。入院している人々の多くが、食肉がもたらす病気で苦しんでいる。一方、菜食による病気で苦しむ人はいない。僕は敢えてベジタリアン(菜食)という言葉を使っているけど、実際にはビーガンを意味している。僕は人々に、まずは第一ステップであるベジタリアンを目指してほしい。ビーガンはその次だ。普段肉を食べている人に、いきなりビーガンになれと言うのは無理がある。しかしベジタリアンになることなら、説得の余地はあると思う。僕は先週からダラスにいるけど、全てのTVCMはステーキかチキンを宣伝している。まるで全国民を腸疾患か癌で一掃したいかのようだ。そしてそれこそが狙いだ!

Q:あなたは自分の主張をコンサートに反映し、公演をキャンセルすることもあります。それは毎回、大きな議論を呼んでいます。あなたにとっては、それもブランドの一部であり、音楽と同じくらいメッセージを重要視しているということですか?
A:第一に、誰がどんな公演をキャンセルしても、モリッシーがキャンセルした公演ほど大きな注目を集めることはない。そしてそれは、実際に公演が行われた場合よりも、大きな反響を呼ぶんだ!僕は確かに公演の誘いをよく断る。その会場が菜食主義を採用しないからね。多くの場合、コンサート日程が公表される前に、僕はオファーを断っている。それでも人々はその話題を引っ掻き回す。僕にまつわる、絶え間ないドラマを楽しんでいるようだ。モリッシーをフォローすることは、RUSHをフォローするのとはまるで違う。日々の論争やら何やらで、モリッシーのホットラインは常に燃えたぎっている。退屈なわけがない。僕は中国からアリーナ公演の誘いをもらった。でもその会場は殺戮行為を止めようとしなかった。だから僕はさよならを告げた。アイスランドも同じだ。彼らにとって、十分な量の血が流れることはない。僕がスウェーデンのエーテボリでコンサートを行ったとき、会場に併設されているマクドナルドが閉鎖された。素晴らしいよ!もし他のアーティストが同じことを成し遂げたら、直ちに世界規模の大ニュースだ。でも僕だったから、沈黙だった。

Q:あなたはアメリカの政治についても、頻繁に語ってきました。しかしあなたの音楽自体は、英国やその周辺地域の政治に特化しています。一方ここアメリカにも、政治を歌う曲が沢山あります。それらの曲があなたに訴えかけ、あなたの精神をこの国へ導いたことはありますか?
A:アメリカの実情を歌った、聴き手を奮起させる政治的な曲は、もちろんある。最も有名なところでは、Buffy Sainte-Marieの「Moratorium」、Bob Dylanの「Times They Are A-Changin’」、Edwin Starrの「War」。Joni Mitchellが「神よ、古き良きアメリカを救いたまえ。この国は勇敢な者、自由な者の故郷。私たちは救いようもなく抑圧された臆病者。」と歌ったこともあった。Melanie Safkaはとても痛烈だと思った。Phil Ochsもそう。Billie Holidayは「Strange Fruit」を歌った。僕がラップに影響を受けることはないけど、「Fear of a Black Planet」「Mamma, Don’t You Think They Know」といった曲が、Nina Simoneの「To Be Young, Gifted and Black」と同じくらい、秀でていることは理解できる。
僕が思うに、ラップはアメリカの白人社会を死ぬほどの恐怖に落とし込んだ。彼らは真実を語っている。James Brownはかつて、「大声で言うよ。俺は黒人。そしてそれを誇りに思う。」と歌った。今日のポップアーティストがこんなことを言えば、直ちにレーベルから追い出される。もしBillie Holiday2015年にCapital Recordsへ近寄ったとしても、彼らは一秒だって彼女には取り合わないよ。
僕の精神はアメリカに導かれていると言える。この国の一部だと言う自覚が、とても強くある。大きい街、小さい町、ほとんどの場所で演奏してきた。僕の音楽人生において、アメリカはとても重要だ。観客は素晴らしく、いつだって誇りに感じてきた。僕はメインストリームの枠から追放されているけどね。でもそれが人生さ!僕とBillie Holiday。少なくとも、どちらも面白い人間ではあるよ。

Q:あなたはかつて、大統領選に出馬していたHillary Clintonを痛烈に批判しました。「Barack Obamaに幸あれ」とも言っていました。今、新たな選挙が始まり、オバマは退き、ヒラリーは再び出馬します。それが誰であれ、新たな大統領が誕生します。この数年を経て、選挙やヒラリーに対する特別な思いはありますか?また、オバマへの気持ちに変化はありますか?
A:僕がヒラリーを批判したのは、最初の選挙で彼女がオバマを嘲ったからだ。しょうもないことをすると思った。でも今では、彼女は当確だと思う。競争相手なんていない。アメリカの政界にいる他の女性を見てみるといい。Michelle BachmannAnn CoutlerSarah Palin。全員おそろしいスパイク頭だ。一方ヒラリーは冷静で、まともに見える。
しかし女性大統領が全てを変えるというわけではない。Margaret Thatcherが示したように、もし悪い方向に進めば、もう二度と女性が舵を取ることは無い。サッチャーは実際に、イギリスの政界にいる全ての女性から希望を奪い去った。彼女以降の歴史が物語っている。そしてもちろん、彼女が自らの政党から締め出されたことを忘れてはいけない!彼女のチームですら、彼女には我慢ならなかった。一般の人々がどう思っていたかは、想像に容易いよ!
選挙で誰が当選するかなんて、最初から決まっている。実際に当選した候補者へ投票した人の数は、それ以外の候補者への投票数よりも少ない。従って、首相や大統領になった人が、大衆から好かれていると考えるのは間違いだ。全て目をくらます幻想だ。プーチンがロシアの人々から好かれている証拠は何もない。でも彼は、その席に何とか居座る方法を知っているようだ。
オバマを見ていると、僕は当惑してしまう。黒人が最も助けを必要としているときに、彼は手を差し伸べない。ファーガソンの一件で、それがハッキリと明らかになった。もしMichael Brownが自分の娘だったら、オバマは人々に治安部隊を支持しろなんて言わないよ。大体、市民を怖がらせるようなものが、どうして治安部隊なんて呼ばれるんだ?オバマの内面はまるで白人だ。アメリカには明らかな人種の隔たりがあり、それは爆発しかけている。無実の黒人が白人警察官に殺されても、彼は何もしない。そして警察官は決して責任を問われない。黒人でいるということは、どういうことか。彼は理解していると誰もが期待していたが、実際は違うようだ。アメリカの警察が暴走しているのは、世界中に知れ渡っている。そんなときに、人々に治安部隊を支持するように言って、何の意味があるだろう。

Q:「How Soon Is Now?」「There Is a Light That Never Goes Out」「Suedehead」はとてもパーソナルな歌です。一方「Meat Is Murder」「Panic」といった、より広いメッセージを持つ曲もあります。これら二つを、どのように比べますか?
A:「Suedehead」がパーソナル?本当に?まぁ何というか、僕が歌う全てのことは、広いメッセージを持っている。それが聴き手に届くかどうかは別としてね。メッセージと呼べるものを持っているバンド、アーティストは極めて少ない。しかし僕には言うべきことが沢山ある。そしてそれがハーベストを死ぬほど怖がらせたのさ。

Q:あなたはこれまでずっと、愛する街を歌のモチーフにしてきました。ロサンジェルス、ローマ、そしてイスタンブール。この寂しい惑星(“lonely planet”)で、あなたがまた恋に落ちる新しい都市はありますか?
A:僕はポーランドに惹かれているけど、歌にするほど多くをまだ知らない。そして南アメリカは僕をいつもワクワクさせてくれる。前回ペルーを訪れたとき、僕は食中毒にかかって、正式に9分間死んだ。楽しかったよ。

Q:「Southpaw Grammar」の制作・リリースから今年で20年です。David Bowieのアウトサイド・ツアーでオープニングアクトを務めたこと、自身のボクサーズ・ツアーも1995年でした。あなたはずっと、年を重ねることの素晴らしさを表明してきましたが、この期間について、思い出はありますか?
A:意外でも何でもないだろうけど、僕にとっては難しい時期だった。「Southpaw Grammar」はとても気に入っていたけど、レーベルは全く興味を示さなかった。アメリカのリプリーズも、ロンドンのRCAもね。あのアルバムはもはや、犯罪的と言っていいほど、過小評価されている。バンドは完璧に花開いていた。しかしアルバムがリリースされたときには、僕は既に契約を解消されていた。次のシングルがどこからリリースされるのかも、全く分からなかった。バンドはあまりにも素晴らしかった。ついに世界が両手を広げて、モリッシーのバンドは不死身の武装集団だと認める時がきていた。でも実際は違った!沈黙が平野を駆け抜けた!リプリーズの代表が僕に向かって、彼らはこのアルバムのために何もしなかったと認めたよ。そんなときにどうすればいい?泣き寝入りか?

Q:あなたの「Autobiography」はベストセラーになり、既にクラシック作品の仲間入りをしています。それに続く小説についても、何回か話題に上っています。進展はありますか?
A:既に出版社の手に渡ったよ。いつ発売するのか、彼らが決めている最中だ。明日かもしれないし、2071年かもしれない。いずれにせよ、既に僕の手を離れたよ。

QHarvest Recordsを離れた後、「Kiss Me A Lot」をAtom Factoryからリリースしましたね。彼らとの関係はいかがですか?これは一回限りの契約ですか?それとも長期にわたるものですか?
A:彼らとはまだ契約すらしていない。ずっと良き友人であり、iTunesからのリリースにも協力的だった。でもここからのことは、僕はノーアイデアだよ。

Q:今年既にヨーロッパとオーストラリアのツアーを終えて、全てはうまくいっていますか?Mando Lopezが加わったことで、あなたが目指していたことは達成されましたか?
A:マンドは素晴らしいよ。もう立派に家族の一員だ。バンドは信じられない程に力強く、僕の歌声も上々だ。音楽業界にそびえ立つレンガの壁以外は、全てが問題なく進んでいる。オーストラリアは最高だった。観客がくれた称賛は、息をのむほどだった。色んなことがあった後、今でもね。

Q:大した話ではないですが、the KillersBrandon Flowersは数年前、ホテルであなたをストーキングして、あなたが彼のソロアルバムを気に入っていると聞き出したらしいですね。
Athe Killersは「Why Don’t You Find Out For Yourself」をカバーしてくれた。とても高尚で、丁寧な仕上がりだった。僕は永遠に、彼らに感謝するよ。そしてブランドンはいつだって、僕について良いことを喋ってくれる。安堵の気持ちでいっぱいさ!
そう、確かに彼は数年前にホテルで僕をストーキングしていた。でも僕には彼が見えていたし、彼がやっていることも分かっていた。とても面白かったよ。僕にとってはね。

2015年6月12日金曜日

Paul McCartney Interview / Daily Mirror (2015.05.29)



Daily Mirror誌に掲載されたポールマッカートニーのインタビューです。72歳を迎えている彼の、元気の源、健康法を語っています。今年の来日公演も素晴らしかったですね。






出版日:2015529



以下、つながり眉毛の翻訳による。


70代にして健康を保つポールマッカートニーからのアドバイス。それは私たちが思いつくようなことではなかった。


バレリーナのような機敏さ。奥さんの保湿剤による、柔らかく赤ん坊のような肌質。ポールマッカートニー卿は、27歳のような72歳だ。
5人の子を持つ父親であり、8人の孫を持つ祖父。そしてその背中には、50年に及ぶ音楽の歴史がある。しかしこのロック音楽界の権威は、今も元気で健康だ。長年吸っていたマリファナを絶ち、毎日ジムに通う。
そして今、デニムに包まれた二本の脚が、私の前で不安定に揺れている。輝かしい帰郷コンサートを目前に控えたリバプールの楽屋。この惑星で最も有名な男は「僕の密かな自慢」という三角倒立を披露している。
これは間違いなく、私のキャリアで最も非現実的な瞬間である。1967年の彼と同じく、私は幻覚を見ているのかもしれない。

「僕はとても元気だよ。」上下逆さまで背中を向けたまま、彼は言った。「僕にコーチは必要ない。彼らがやっていることを観察して、コピーするのさ。
「クロストレーニング、ランニング、有酸素運動。そしてウェイトリフティング、スイスボールの上で腹筋、マットで少しストレッチ。最後に逆立ちだ。
「これこそ僕の大きな自慢だよ!60年代に学んだ。ヨガってやつだね。そして僕が言いたいのは、強さではなく柔軟性が大事だということだ。
「僕が行くジムには、ものすごいウェイトをやっている人たちがいる。僕がやるウェイトは大したことないけどね。だけど僕は5分間の逆立ちをやる。するとその巨大な男たちがやって来て、すごいじゃん!って褒めてくれるよ。
自分の論点を証明するかのように、あらゆる大股開きの体勢をとりながら、ポールは脚を振り回し始めた。「逆立ちを始めてから約3分後にこれを始める。」何でもないように足を再び地面に降ろし、彼は言った。日本をテーマにした彼の楽屋。ソファに座っている私のところに、彼が戻ってきた。

彼はドライフルーツとナッツを手ですくって食べている。私は途方に暮れてしまった。文字通り、開いた口が塞がらなかった。「僕は君を面食らわせただろう?」彼はニッコリ笑って言う。ポール、その通りだよ。
彼は断固たるベジタリアンであり、清廉潔白な生き方を推進する大使である。彼のスタッフは、ポールは「俺が今まで会った誰よりも元気だ」と言う。
ローリングストーンズ、U2、コールドプレイは一晩で平均25曲を演奏する。しかしこれからヨーロッパとアメリカに繰り出すOut Thereツアーでは、彼は3時間で38曲を演奏する。
今週木曜に行われたソールドアウトコンサートの最中、彼はまさに無敵の状態だった。かつては大量の大麻に溺れ、35年前には刑務所に連行された。しかしもはや、それは遠い過去だ。「僕はもうやらないよ。」彼は説明する。「なぜ?子供たちや孫たちに、悪い例を見せたくない。親心だね。
「当時の僕は、ロンドンで人生を謳歌する若者だった。子供たちもまだ小さかった。彼らの目に触れなければいいと思っていたよ。」

「今はもうマリファナではなく、赤ワインか良質なマルガリータを飲む。マリファナを最後に吸ったのは、もうずっと昔だ。」19648月、彼はボブディランから初めてマリファナを紹介された。ドラッグによって彼は「生まれて初めて、本当に深く物事を考えた」。彼の曲作りに大きな影響を与えた。
数年後、ポールと他のビートルズは全員LSDを試した。ブライアン・エプスタインの死に唖然とする中、「クスクス笑う教祖」マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーと接するようになった。彼とは不和に別れたものの、LSDを絶ち、曲作りへの意欲を得た。彼の僧院での滞在は、無意味ではなかった。
半ポンドのマリファナを持って日本へ入国した際、ポールは9日間投獄された。当時の妻リンダから1週間以上も離れた唯一の機会となった。

ファンが幾千もの反対運動を行い、弁護士が何度も足を運んだ結果、罰金もなく解放された。投獄されたことは疑いようもなく恥ずべき汚点となったが、ポールは鼻柱をへし折られる必要のない、数少ないスターの一人だ。名声、成功、そして(最新の計算では71千万ポンドにのぼる)富を手にしていながら、彼は見事に正気を保っている。何よりも、ナイスガイだ。
彼が「嫌な奴(この表現は自然に口をついて出てきた)に成り下がっていない」ことを私が祝福すると、彼は笑った。「それは素晴らしい推薦の言葉だね。履歴書に書かせてもらおうかな。」彼のツアースタッフ300人の大半が、30年以上も彼と働いているということも、何かを物語っているようだ。

ポールマッカートニー卿は、ナイスガイの一人だ。
自分がこのように生きていられるのは、家族、そして2011年に結婚した三人目の妻、ナンシーのおかげだと言う。自らの力で財産を築いたニューヨーク生まれのビジネスウーマンである彼女には、公共の目に晒されたいという欲求は皆無だ。「ナンシーはとても分別があって、僕の行動をしっかり見張っているよ。」と彼は言う。
「僕たちを取り巻くことになる全てに、彼女がどう反応するか疑問だった。
マッカートニー夫人でいるだけで、雑誌などから素晴らしいオファーがやって来る。他の女の子ならすぐに飛びつくよ。
「でも彼女は断った。彼女はトラック運送会社のトップだ。私には既に仕事があると言い放った。
「大量のパパラッチが待ち構えているイベントでは、彼女は少し引き下がって、僕を前に押し出すのさ。
「ナンシーは控えめな性格で、周りから気付かれることなく、通りを歩きたいようだ。彼女は聡明で、とてもしっかりしている。」

彼のさっぱりした顔つきも、ナンシーのおかげだ。彼はきまり悪そうに、彼女のクリームを借りて、保湿していることを打ち明けた。
「ナンシーは色々と持っているから、そうだね、僕も今では保湿しているよ。」彼は笑う。「僕は正直チャラチャラしているなぁと思いながらやっている。でも世の中の男は皆やっていると彼女は断言するのさ。」
同じく世界的に有名な他のアーティストと違うのは、彼はボディーガードを置いて一人でサイクリングに出かけ、自分を見失っていないことだ。
彼はまた、リバプールの家族を「僕が今までに会ったどの大統領や首相よりも賢い」と言う。「僕は確かに人目に触れるけど、静かな田舎を少し歩くだけなら問題ない。バードウォッチャーには会うけど、彼らは僕のことなんか気にかけない。僕よりもハヤブサに興味があるみたいだ。
「僕は大家族の出身で、本物の、良識のある、一般的な家庭に育った。悪いことをして、そのまま逃れるなんてことは思いもしなかった。
「多くの人々は故郷に帰りたくないみたいだけど、僕にはとても価値のあることだ。良い家庭に育った幸運な人は、嫌な奴にはならないぞって自然に学ぶはずさ。」

ツアーで訪れる国の観客に、彼らの言葉で話しかけるために、あらゆる言語のレッスンを受ける。グラミー賞を21回獲得するこの男は、今までに様々な友人を作ってきた。
同じくリバプール出身のシーラブラックと、ビートルズが現れる数年前の1950年代後半に多大な名声を勝ち得たクリフリチャード卿。過去に行った性犯罪について、クリフが調査を受けていることを、彼はどう思うのか。
「最後にクリフと会ったのは、僕らがナッシュビルにいたときだ。彼はそこでレコードを作っていて、僕のコンサートに来てくれた。
「本当に分からないよ。この一件がどこに向かっているのか、本当に分からない。大事なのは、それが真実なのかどうかだ。でも僕には分からないから、疑問が残る点を、彼に有利なように解釈してあげたい。
「彼はいつだってカッコ良くて、ナイスガイのように見えた。」
ポール卿はナイスガイについて、よく分かっているはずだ。結局のところ、彼は今でも逆立ちできるのだ。