ある10月の夜。シャワーを浴びていたら、妻がいきなり浴室のドアを開けた。「ノーベル文学賞!」彼女は言った。ついに村上春樹が受賞したか、僕は嬉しくなった。高校生のときから、10年以上のファンである。今年は民間予想トップだったみたいだし…
「ボブディラン!!」彼女はそう言って、満面の笑みでリビングへ走り去った。裸でびしょ濡れの僕を残して。文字通り、開いた口が塞がらなかった。
何年も前から、候補に挙がっている(らしい)ことは知っていた。「世代のスポークスマン」「西洋の服を着たブッダ」「フォークの神様(未だにそんなこと言うのは日本のメディアだけ)」など、数々の異名を持つ。その功績はあらゆる所で語られ、評価されてきた。それは数々の具体的な賞という形になった。偉大な人物であることを、今更疑う人はいないだろう。
ディランがいなかったら、ポピュラー音楽の姿は変わっていたとも言われる。「Beatles
for Sale」「Rubber Soul」「Revolver」はもっと軽薄なアルバムになっていた?スプリングスティーンがギターを持つこともなかった?ボウイが歌うこともなかった?要するに、僕たちが親しんでいるディラン以外の音楽も、彼がいなかったら存在しなかった可能性がある。あるいは全く違うものになっていたかもしれない。仮定の話だけれど、僕はある程度の確信を持っている。更なる起源を辿れば、エルビスやチャックベリーに行き着くのだろう。しかしディラン前後で、ポピュラー音楽の景色が一変したのは間違いない。
アーティストとしてのディランに対する評価はもはや絶対的だ。次々にスタイル、ペルソナを変える生き様。40代になってからネバーエンディングツアーを敢行し、未だに年間100回はステージに立つ決意。90年代以降、2年に一枚は高品質のアルバムを発表し続けている奇跡。どれも称賛されるべくして称賛されている、輝かしい栄光だ。彼はこれまでに、グラミー、ゴールデングローブ、アカデミー、オスカー、ピュリッツァーを受賞している。最近では、ホワイトハウスでオバマ大統領からメダルを授与された。
しかしノーベル賞となると、どうやら話は違うようだ。各地で論争が起きている。色々な人が色々なことを言う。インターネットのおかげで、その多くを見ることができる。「ディランは本当にオリジナルなのか?」「なぜ既に有名な人が授与されるのか?」「そもそもソングライティングは文学なのか?」これらの問いを巡り、世界中で意見が衝突している。
しかしここでその議論に加わるつもりはない。もちろん僕なりの考えはある。しかしこの議論に決着はない。それこそがディランだからだ。彼を取り巻く論争は、今に始まったことではない。ディランの歴史とはつまり、論争の歴史に他ならない。
テレビに出る人は全員スーツで髪型も決めていた時代に、薄汚いワークシャツ、ジーンズ、キャップという姿で現れた。ボイトレも受けたことのない、素人丸出しの声で歌った。インタビューの質問には、ほとんど何も答えなかった。白人なのに黒人を擁護するような歌を発表した。フォークフェスにバンドを従えて登場し、ボーカルが聞こえないほどの爆音で演奏した。そのまま世界中をツアーして、各地でブーイングを浴びた。70年代後半、突如としてクリスチャンに改宗した。ツアーでは古い曲を一切演奏せず、MCは全てお説教だった。80年代以降、ファンですら何か分からないほど、ステージ上で曲をアレンジしている。次第にメロディを放棄し、そのときの気分で歌っている。600を超える自作曲を持つのに、近年のツアーは曲目の半分以上がカバーである。
これら全てが人々を翻弄した。ある者は怒り、ある者は絶賛した。人々の意見が一致することはなかった。
何て自分勝手な奴なのだろう、そう思うかもしれない。人前に立つ資格などない、そう言う人もいるかもしれない。一般大衆が求めるものを提供することが条件なら、確かにディランにその資格はない。常に期待を裏切り、周りをポカンとさせる。チケット代を返せと怒り出す人もいる。
しかしこれこそが、紛れもないボブディランではないか。僕はそう思う。自伝やインタビューを読めば、彼には悪気がないことが分かる。自分がやりたいことを、ひたすらやっている。ディランは世間の先を行く。人々が追いついたときには、彼は更に先へ行ってしまっている。
きっとファンなら誰でも、自分の好きなディラン像がある。キング牧師のスピーチ会場でジョーンバエズと共に歌ったときのディラン。「Play It Fuckin’ Loud!」と言い放ち、「Like A
Rolling Stone」を歌ったときのディラン。ミュージシャンや詩人の友達を引き連れ、アメリカ中を練り歩いていたときのディラン。彼には様々な顔がある。人々はそのどれかに感動し、そのディランがもう一度見たくて、色々と文句を垂れてしまう。全てのディランを愛することができる、筋金入りのファンなら話は別だが。
僕自身の話をさせて頂くと、初めてディランを聴いたのは中学校の頃だった。英語の授業で先生がかけた「Let It Be」にいたく感動し、両親が持っていた60年代ヒット曲集の10枚組CDを貪るように聴いた。ビートルズ、ストーンズ、モンキーズなど。どれも素晴らしかった。確かにこの時代には、何か特別なものがある。CDを聴くたびに、僕はそう思った。
その中でディランは異質だった。曲によって全然サウンドが違うし、どの曲もやたら長い(大抵の曲は5番以上ある)。歌も下手くそだ。それでも彼の音楽は僕に向かって何かを語っていた。いや、「語る」なんて優しいものじゃない。訴えかけていた?叫んでいた?未だに上手く説明できない。でも当時の傷つきやすく、何にも順応できなかった僕は、強く心を動かされた。冷たく、温かく、優しく、厳しい歌声。むき出しの感情を奏でるハーモニカ。激しくも繊細なギター。そして何よりも、彼の音楽は一人ぼっちだった。一人きりで演奏している曲も、バンドを従えている曲も、全て一人ぼっちだった。紛れもなく「個」から発せられる音だった。他の人たちとは何かが違うな。そう思ったのを覚えている。
特に好きで聴いていたのは「Mr. Tambourine Man」と「Don’t Think Twice, It’s Alright」だった。何回も繰り返し聴いた。そのたびに心臓が締め付けられた。時には痛みすら感じた。歌声、メロディ、ギター、ハーモニカ。全てが一体となり、僕を包み込んだ。歌詞は一言も分からない。でも僕には理解できたような気がした。愛するものから離れていく苦しみ。強く抱いている思いですら、相手に伝わらない憤り。僕は当時12歳で、何も知らない子供だった。でも全て理解できた。今まで閉ざされていた感情の扉が優しく、しかし半ば強引に開け放たれた。僕の心は傷つきながら、とても幸せだった。
実際に歌詞を読んだのはいつか、具体的には思い出せない。しばらく後になってからだった。どうしてすぐに読まなかったのか。うまく言えないが、きっと怖かったのだろう。想像しているものと違ったらどうしよう。洋楽でよくある話だ。楽しい曲と思って聴いていたら、実はとんでもなく暗い歌詞でショックを受けた。そんな風になるのが嫌だったのかもしれない。これほど深く感動していたら尚更だ。
でもようやく歌詞を読んだとき、僕は心から安堵した。涙すら出そうになった。曲を聴いている間に僕が見ていた風景と混沌だらけの世界が、そっくりそのまま描かれていた。すぐに理解できたわけではない。学校で習ったことのない単語は辞書を引き、よく分からない文法は適当に解釈した。細かく見れば、きっと間違いだらけだっただろう。でもそんなことは関係なかった。全体として、その歌詞は僕が見ていたものそのままだった。そこには「へぇ」もなければ「なるほど」もなかった。「これが詩というものか」ただそう思った。
もちろん当時は、その類い稀な暗喩表現、綺麗な音韻、綿密なストーリーラインの構築など、分かるはずもなかった。ディラントーマスやTSエリオットの名前も、聞いたことがなかった。彼によって、音楽における歌詞の概念が変わったことなど、知る由もなかった。大切なのは、そしてただ一つ僕に分かったのは、それが僕の心をずたずたに切り裂き、しかし同時に癒し、治してくれたことだけだ。
歌詞を音楽から切り離すことに意味はない。もちろん歌詞だけ読んでも、あらゆる批評に耐えうる、高度な芸術であることは間違いない。しかしそれはディランの意図ではない。ディランがこれまでに書いた言葉はほぼ全て、音楽と共に聞かれることを前提にしている。それは同時に、この歌詞でなければ、この音楽にはならないということだ。楽器、メロディ、歌声と混ざり合い、美しく響くあの言葉。どれが欠けても、ボブディランの芸術にはならない。深く暗い、思春期の闇にいた僕を救ってくれた、あの音楽にはならない。お前はお前らしく生きればいい、そう言ってくれた音楽。
同じように彼は、この50年以上の間、世界中の人々を救ってきた。言うまでもなく、その中で歌詞が重要な役割を果たしている。その事実だけで、ディランはノーベル賞に値する存在だと、少なくともそれを否定することはできないと、僕は思う。