去る2月、True To Youに掲載されたモリッシーのコメントです。Brit Awardsを猛烈批判しています。もの書きの端くれとして私も、これほど文学的にディスることができるようになりたいです。
出典:http://true-to-you.net/morrissey_news_150210_01
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出版日:2015年2月10日
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音楽賞など知ったことではない
何か疑わしいものが、2月25日に始まろうとしている。君がもし、未だにSmash Hit Awardsが記憶にある、戦前から生きている原始人なら、見覚えがあるかもしれない。エリート層が決めたものが、一般層から支持されているという事実が作られ、いつの間にか大衆文化に取り込まれている。毎時間流れる、BBCニュースが良い例だ。マスメディアは、一般大衆の強い要望により、何かが起こっていると報道する。人々は衝撃的なまでに騙されやすく、エリートが決定したことなら何でも受け入れると、奴らは信じている。British Phonographic Industry Awards。通称Brit Awardsは、私たちを拘束しようとしている。Yank Awardsが、アメリカ音楽狂想曲を称えているのと、同じ原理である。実際には地位も価値もないポップアーティストが、一般大衆によって支持され、国民の総意により賞を与えられる。そのような印象を作り出すことが、Brit Awardsの目的である。過去12ヶ月間に活躍した「誰からも支持されている」アーティストが受賞すると主張しながら、Brit Awardsはそのアーティストを大衆には選ばせない。あまりにリスキーだからだ。従って今年は、静かに2014年を過ごしたMacDonnaが受賞することになる。極めて有益なことに、彼女はまさに今、新しいアルバムをリリースしようとしている。もちろん彼女の音楽は、英国の生命について何も語っていない。しかし彼女はBrit Awardsの舞台に立ち、身の毛がよだつようなキャリアを、またもや宣伝しようとしている。Brit Awardsのラウンチパーティーを見てみるといい。UKチャートで最高62位だった曲が、大々的に取り上げられている。結局のところ、巨大なレーベルが放つゴミ臭いプロパガンダが、この授賞式を作り上げている。彼らが2015年に売り出す予定のお抱えアーティストに、賞が分配されることになる。あるいは賞を与え、良い曲を書かせようと励ます。Brit Awardsが持つ役割の中で、それがせいぜい最も誠実なところである。ブードゥ教人形のようなMercury Prizeは、不幸な受賞者の手に渡される。そして通常10ヶ月後には、その受賞者はマットレス販売員になっている。Brit Awardsも同様に、しなびた若い魂に贈られる。当然彼らはそれに値していないし、かといって「本当に僕でいいのですか?」と聞くこともしない。聞いたところで、返ってくる答えは、分かりきっている。
International Male Soloの候補者は、確かにヨーロッパ圏内でのヒットを経験している。しかし決して、国際的なヒットではない。明らかに芸術的価値がなくても、Brit Awardsの候補者になっただけで、将来のキャリアが約束される。悲しいかなそれが真実であり、特に誰も異論を唱えない。先18ヶ月間の成功への扉は、候補者が本来持っているはずの、何か特別な天賦の才とは関係ない。政治的ビジネスが、全てを決定している。良い映画を作らせようと励ますために、ある俳優にBAFTAを与えるか?Brit Awardsがやっているのは、まさにそういうことだ。
音楽とは関係ない軽薄なエンターテイナー、Ant & Decが司会を務める。この授賞式には相応しい。音楽界はテレビ文化が支配し、軽薄なエンターテイメント組織が、音楽界の成功を作り出す。彼らの存在が、それを言い表している。本当の人気や音楽的価値ではなく、マーケティングキャンペーンの強さが、チャートにおける成功につながる。誠実な音楽愛好家はこれを理解し、チャートなど見放している。Xファクトリーは夢見ることを夢見る夢想家を搾取し、精巧なハリボテを音楽シーンに次々と放り込む。たった1人のまともなスターすら生み出せない、ゴミ臭い文化を残し、公衆衛生に脅威を与えている。英国のテレビは今や「文化の核であるエンターテイメント」にどっぷりと浸かっている。作家Michael Bracewellは、以下のように書いている。
「たとえ奴らがベルゼンについての番組を作るとしても、Dawn Frenchを司会に持ってくるだろう。そしてASBO(反社会的行動禁止命令)に支配されている家族をビーストンから連れてきて、彼らが“対処しようとしている”ところを撮影するだろう。」
BBC1のCheryl Coleが髪の毛をいじくりながら発表しない限り、この世が終わるというアナウンスですら、この国の人々は信じないだろう。手短に言えば、英国は馬鹿の集まりとなることを奨励されている(もちろん今のところ、馬鹿の集まりではない)。でもどうして英国文化の品位は、こんなにも低下してしまったのか?どうして、いかなるアイデアも持ち合わせていない、工場で養殖された「個性」だけが推奨されているのか?私たちが無能でいる方が、より支配しやすいからだろうか?その通りだ。(全くもって関心がない大衆のために)撮影される、病的なまでに多くの写真;テレビへの資金提供;観客ゼロのスポーツイベント報道;(望ましくは中国に売却されることを願う)「王室」の明らかに好色じみた独裁権力…結局は全て、制御された忠誠心ということになる。BPIを手渡す音楽学者が真っ当だと考えることは、Brit Awardsの誰かが価値ある主張する可能性を信じることと同じくらい、馬鹿げている。一方で、もしポップ音楽にポジティブな変化が訪れることを望めば、精神病患者のように扱われる。
公共に仕えているふりをしながら、Brit Awardsは現代の音楽をハイジャックした。多くの偉大な先人を生み出した遺産を、全滅させた。英国音楽の歴史に影響を与えた人が、賞を受け取るためだけに、O2のステージに立つ場面が想像できるだろうか。可能な限り華美に装飾された授賞式に、コベントリやレクサムと全く関係のない、テイラースウィフトが現れる。彼女の口パクに合わせて、ペルーの全人口が周りを踊ることになる。いとも簡単に、下劣な詐欺が行われる。厳粛なカトリックのように、私たちはただ静かに、これを目撃し、信じることを強要される。そして訪れる空虚な満足感に、何の疑問も抱かないことを強要される。今年のラインナップを見れば想像がつく。London O2の観客は、その場から逃げ出すために、金を支払うことすら厭わないだろう。少しでも尊厳を持つ歌手やバンドなら、Brit Awardsのような肥満体の幻想には参加しない。
今日、才能は人工的に形成されている。それに不満の声を上げるのは、感傷的な人だけだと言われる。しかし不満の声を上げずにいられるか。BBCニュースは、実際に起こったことではなく、社説を紹介する(Prince Andrewが純粋かどうかなんて、BBCが知る由もないはずだ)。同じように、Brit Awardsは正しいことに全く注意を払わず、才能やスターとは無縁なものを象徴している。従って、Brit Awardを受賞していないことは、音楽を真剣に考えるアーティストにとって、不変の価値となる。テレタビーが残した「英国音楽への傑出した貢献」に対して、Ant & Decは拍手するだろう。その際に、私たちが手を合わせて感謝できるのは、候補者とならなかったことだけだ。Michael Bracewellは「ポップ後の時代に現れた市場創出」と高尚に表現した。その隣に立つことを拒否すれば、それはすなわち、音楽の利益を向上させることになる。
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訳:つながり眉毛
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